山口県は甲州市。信玄・家康・火事。三度の再興を経た恵林寺

恵林寺は応仁の乱により荒廃した所に、武田信玄が菩提寺。。。先祖代々のお墓のあるお寺。つまり後々における自分の墓として見定めたとされるお寺です。今回はそんな恵林寺についてスポットを当ててご紹介していきます!

恵林寺について

 (12772)

恵林寺はまず応仁の乱で荒廃。その後武田信玄が菩提寺として定めた事で復興。
しかし武田氏の滅亡後。織田に敗北した武将の一人。佐々木次郎が恵林寺に逃げ込み
引渡しを拒否した事で焼き討ち。
この際住職であった快川紹喜は燃え盛る三門の上で
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」
と口にしたとされており、経緯は知らなくともこの言葉は聞いたことがある、という人は多いのではないでしょうか。

その後恵林寺は家康の手で再建。明治まで続くのですが火災により大半を消失。
再度再建され今に至るようです。

恵林寺四脚門

 (12771)

丹塗りの門であることから通称「赤門」とも呼ばれている。切妻造り、桧皮葺きで、本柱、控柱ともに円柱を用い、柱には粽形が付けられ、柱下には石造礎盤が置かれている。中通しの本柱は控柱より太く大きく、これを桁行に通した頭貫で繋ぎ、その上に台輪を架し大斗・枠・肘木・実肘木を組み、軒先を海老虹梁で繋いでいる。このような極めて簡単な構架ではあるが、全体に木割りが大きく、その意匠は雄大であり、桃山期の豪放な気風をよく現わしている。
織田の焼き討ちにより消失したものの、家康による復興後からずっと建ち続けている門ですね。
400年以上前であるが故に国の重要文化財に指定されています。

恵林寺三門附棟札一枚

 (12740)

「心頭滅却すれば火も自(ひおのずから)涼し」というフレーズは、現代でもなお生きている。 この由来は実のところ、多く命と引き換えにして、この「三門」の場所から有名になった。 武田家が滅亡しても恭順しなかった恵林寺は、織田勢によって火攻めにあった。この「三門」の場所に立て籠もった快川国師は、今際の際(いまわのきわ)に冒頭の一句を大喝一声して多くの僧侶たちの動揺を鎮めて、端座しつつ皆で運命に身をゆだねたといわれている。 ここを「三門」と称するのは、涅槃に入るための三解脱門(さんげだつもん)すなわち空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん)の意を託して表しているからである。 構造は、一間一戸、楼門形式であり、小規模ながら総体的に溢れる重厚・荘厳さは、桃山文化の建築物の面影を示し、あまた存在する禅宗寺院の山門の中でも逸品とされている。
附棟札一枚。正確に言えば棟札というのは建物の内部に記念として貼り付ける板の事。
つまり附というのは付け加えるとかそういった意味なので、この場合は燃えて再建した直後か
その後に棟札が一枚貼られた、という意味になるんですかね。
 (12761)

おそらくこれが棟札。国の重要文化財に対し、こちらは県の指定文化財との事。
基準がイマイチ分かりませんが、作成難易度だとか数的には4門の方が珍しい為なのでしょうか。

恵林寺庭園

 (12774)

本堂の裏側には夢窓国師築庭の池泉回遊式庭園が広がっている。 上段に枯山水、下段には心字池を配した雄大な規模を誇る名園であり、昭和17年に国指定の名勝となる。 国師はこの恵林寺庭園作庭の後に、西芳寺(苔寺)、天龍寺の庭も手掛けることになる。 寂寞な中にも流れを許すその姿は、この現代においても、安らかなる禅の風光そのままとして現れている。
本堂の裏側辺りにある通路からの写真でしょうか?
拝観料は300円との事ですが、思ったよりも色々な場所を散策できるようですね。

武田信玄公の墓所

 (12783)

画像では近いですが、実際はこの手前には門があり近くへは行けないようになっているそうです。
誰か悪さでもする方でも居たのでしょうか?
そしてこの裏側には家臣たちの墓所もあるそうです。
 (12787)

こちらは武田家家臣団の墓所の見取り図。山県昌景、馬場信房、高坂昌信、内藤昌豊など、武田家で名を馳せた、歴戦の強者たちの名前が並んでいます。
全員が同じ戦場で亡くなられた訳ではないでしょうし、事故や病気。老衰という事もありえるのでしょうけど。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
戦場ではないにしろこうして家臣団の墓が並ぶと、夢の跡という言葉と噛み合う気がします。

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