日光の世界遺産~どんなところが登録されているの?

1999年に日光東照宮などの神社・寺が「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。日本有数の観光名所である日光には、現在も多くの観光客が訪れます。この記事では、多くの観光客を引き寄せる日光の魅力をまとめてみました。

世界遺産に登録された「日光の社寺」

世界遺産に登録された「日光の社寺」とは、
①日光東照宮
②日光山 輪王寺
③日光二荒山神社
の3つを指します。
それぞれの寺社にある、103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が世界遺産に登録されています。

それでは、以上の3つの社寺の概要をご紹介していきます。

①日光東照宮

 (13634)

264年に及ぶ「徳川幕府」を作り上げた初代将軍:徳川家康を祀った神社。
 家康自身の「遺体を静岡県の久能山におさめ一周忌の後、日光に小さい堂を建てて神として祀ること。」という遺言により、1617年、息子である二代将軍:秀忠によって建立された。
 当初は比較的質素な作りだったが、祖父:家康を敬愛してやまない三代将軍:家光により、1636年「寛永の大造替」によって現在の絢爛豪華な形となった。この大改装の費用は現在の金額に換算すると500億円以上とも言われている。また特筆すべきは巨費だけではなく、当時の優れた建築士、大工、塗り物師などを全国から集め建築技術・工芸技術・美術の粋を結集した建築物となっていることである。
徳川家康の墓

徳川家康の墓

家康の墓所は久能山東照宮(静岡県)と日光東照宮の二ヶ所とされています。
 現在の社殿群は、そのほとんどがご鎮座から20年後の寛永(かんえい)13年(1636)に建て替えられたものです。陽明門(国宝)など55棟、その費用は、金56万8千両、銀百貫匁、米千石(『日光山東照大権現様御造営御目録』より)を要し、ご造営の総責任者には秋元但馬守泰朝(あきもとたじまのかみやすとも)、工事や大工の総責任者には大棟梁甲良豊後宗広(こうらぶんごむねひろ)があたり、わずか1年5ヶ月の工期で完成しました。
クレーンやショベルカーがない時代にこれだけの社殿をたった1年5カ月で造ってしまうとは驚きです。しかも、山奥までどうやってこれだけの資材を運び込んだことからしても、相当な労力がかけられたのでしょうね。
家康公を祀っているだけあって、江戸幕府がどれだけ東照宮の造営に力を入れていたのかがうかがえるエピソードです。
いかがでしょうか。
日光東照宮の見どころは、やはり建造物とそれらにまつわる歴史ですね。

②日光山 輪王寺(りんのうじ)

 (13637)

日光山輪王寺の起源は、766年、日光山開山の祖と呼ばれる勝道上人が現在の神橋の近くに「四本竜寺」を建立したのが始まりとされる。山岳信仰の聖地として栄えた。
 「輪王寺」とは建物自体の名称ではなく、お寺やお堂、15の支院の総称。
 一時衰退の危機に瀕するも、江戸時代、家康・秀忠・家光の三代に渡り将軍の相談役を務めた天海大僧正が貫主となると日光東照宮の建立もあり、目覚しい復興を遂げた。
 明治の「神仏分離令」により、神仏の区別が無かった輪王寺は苦境に立たされるが、数々の困難を乗り越え、1882年に一山15院が復興し、翌83年には輪王寺、門跡呼称も復活し、ほぼ現在の形が固まった。
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。
「輪王寺」とは、一つのお寺を指すものではなく、一定のエリアにある寺院などの総称だったのですね。全く知りませんでした。
ちなみに、「山内」と呼ばれる東照宮近くのエリアと、いろは坂を上った「奥日光」が「輪王寺」のエリアだそうです。

では、最後のスポット、二荒山神社のご紹介です。

③二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)

 (13643)

1200年以上前、勝道上人が開いた日光山。二荒山神社は日光山信仰の始まりとなった古社で、二荒山(男体山)をご神体としてまつり、古くから下野国の一の宮としてうやまわれ、信仰を集めていました。二荒山神社の主祭神は招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと)がまつられており、現在では縁結びのご利益でも人気の社です。
古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と
仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。

境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、
御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。

神橋(しんきょう)

神橋(しんきょう)

二荒山神社の建造物である「神橋」。
日光国立公園の入口となる大谷川に架かる橋です。
山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋と並び日本三大奇橋と言われています。

(番外)日光の地名の由来

日光連山

日光連山

男体山、女峰山、太郎山など、複数の山々から成る日光連山。
2,300m超の山々がそびえたつ姿は圧巻です。
ところで、日光の地名はどうやって名づけられたのでしょうか。それは、この二荒山神社とも関係しているそうです。調べてみると、ちょっと強引な気もしますが、意外なつながりが見えてきました。
日光の由来には諸説ありますが、よく知られているのは観音菩薩にまつわる説です。日光には、古くから山岳信仰の対象とされている「男体山(なんたいさん)」があります。この山はかつて、観音菩薩が降り立ったとされるインドの山「ポータラカ」を音訳した「補陀落山(ふだらくさん)」という名前で呼ばれていました。補陀洛山は後に「二荒山(ふたらさん)」という字が当てられ、「二荒」の名を音読みした「にっこう」が、「日光」に変化したといわれています。
 この日光という地名の由来についてはいろいろな説があります。観音菩薩の浄土【かんのんぼさつのじょうど】を補陀洛山【ふだらくさん】といいますが、その補陀洛山からフタラ山(二荒山)の名がついたという説、日光の山には熊笹【クマザサ】が多いので、アイヌ語のフトラ=熊笹がフタラになりフタラが二荒になったという説、男体山【なんたいさん】、女峰山【にょほうさん】に男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったとか、いろは坂の入口付近に屏風岩【びょうぶいわ】があります。そこに大きな洞穴があり、「風穴」とか「雷神窟【らいじんくつ】」などと呼ばれており、この穴に風の神と雷獣【らいじゅう】が住んでいて、カミナリをおこし豪雨を降らせ、春と秋に暴風が吹いて土地を荒したので二荒山という名ができたとか、二荒が日光になったのは、弘法大師空海が二荒山(男体山)に登られたとき、二荒の文字が感心しないといって、フタラをニコウと音読し、良い字をあてて日光にしたと伝えられております。
『日光という地名は「二荒(ふたら)」が音読みの「にこう」になって、漢字を当て直して「日光」になった。』ということのようです。真偽のほどは別として、二荒山神社とは、日光のルーツである神社であることは間違いなさそうです。

まとめ

世界遺産に登録されている3つの社寺についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか。
のんびり観光に訪れるのももちろん素敵ですが、歴史や伝承などを知ったうえで訪れてみるとまた違った楽しみ方ができるかもしれません。
日光に行かれる方は是非参考にしてみてくださいね!

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