京都を代表するお寺・金閣寺は、その美しさゆえに様々なドラマが綴られてきました。中でも衝撃的だった「金閣寺放火事件」を題材にした三島由紀夫の小説「金閣寺」は彼の代表作にもなっています。歴史を知るとますます金閣寺に行ってみたくなりますよ♪
金閣寺とは?
金閣寺を象徴する漆塗りに金箔を張った舎利殿は、1994年に世界文化遺産にも登録されました。
この地は、もとは鎌倉時代に朝廷と密接な関係を持ってきた公卿・西園寺公経の別荘でした。
しかし1221年の承久の乱で、後醍醐天皇を暗殺しようとした罪で失脚、所領を没収されます。
その後、荒廃した当地を足利義満が譲り受け、北山山荘を造ったのが始まりです。
足利義満の死後、遺言により北山山荘は解体されますが、その時唯一残されたのがこの舎利殿です。
その舎利殿も1950年に見習い僧侶の大学生により放火され焼失します。
この世紀の大事件を元に書かれた小説が、三島由紀夫氏の代表的作品「金閣寺」なのです。
1950年当時すでに世界的に知られていた金閣寺が放火により焼失したのは、日本人全員に大きな衝撃的を与えた事件でした。それは、犯人の母親が自殺するという痛ましい事件が続いただけでなく、日本を代表する作家がこの事件を題材に文学作品を発表したことにも現れています。
三島由紀夫と金閣寺
三島由紀夫――本名・平岡公威(きみたけ)が生まれたのは大正14年1月14日。父は農商務省の高級官僚、母は有名漢学者の娘という、まさに非の打ち所のない「エリート家庭」の出身でした。中でも祖母・夏子の過保護ぶりがすさまじく、「2階で子供を育てるのは危ない」と1階の自分の部屋に引き取り、実の父母にも授乳の時以外会わせなかったといわれています。外で遊ばせることは一切なく、遊びといえばままごとや折り紙をするだけ。いつしか三島は女言葉を使うようになっていきました。その反動から、荒っぽいもの、男らしいものに強い憧れをもつようになったということです。
三島氏の作品は文章表現が繊細で美しく、「滅びの美学」とも言われています。
小説の主人公である吃音障害の青年・溝口は金閣寺をこの世の最上の美、清らかなる聖地として夢想し育ちます。しかし、現実に修行僧として遣えるようになると、理想と現実に大きなギャップ。
思慕し続けてきた美しき金閣寺の現実への愛憎入り混じる思い、それでもなお理想を求める心に苦しみながら、溝口は炎の中に浮かぶ金閣寺に永遠の美を見出すのです。
悠久の美 金閣寺
この世には最高の瞬間といふものがある。この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。
小説「金閣寺」に登場する溝口は、三島氏自身だったのかもしれません。薄れゆく日本古来の美への思い、混乱する戦後社会の現実、そのジレンマがこの作品を作り上げたのでしょう。
金閣寺の見どころ
その美しさに、誰しもが感嘆の声をあげます。
金閣寺は三層からなり、一層目は寝殿造の「法水院」、二層目は武家造で「潮音洞」、三層目は中国風禅宗仏殿造の「究竟頂」から構成されています。頂上には金の鳳凰。
二層・三層に金箔が施され、その金の総重量はなんと20Kg!なんて贅沢なんでしょう。
この光り輝く舎利殿は、その光霊により邪気を祓うパワースポットでもあるんです♪
ここまでは良く知られたところですが、金閣寺の見どころはここだけではありません。
この「陸舟の松」は、もともと義満の盆栽でした。
それを地面に植え替えて、舟の形に仕立てたのです。
この松の先は「西」を向いています。
義満はこの舟に乗って、西方浄土(極楽浄土)を目指したかったようです。
義満が植えたものですから、樹齢はなんと!600年以上あると云われております。
これが「陸舟の松」です。なんとも見事でしょう?
金閣寺の北側出口付近の高台にある茶室「夕佳亭」は、金森宗和が制作に携った代表的な数奇屋造りの茶室の一つです。夕方に金閣がまことに美しく見えるという意味から名付けられた茶室で内部は思ったよりも広くゆとりのある茶室で比較高い場所に造った為、茶室がはり出しているのが特徴です。
茶室正面にある床柱は有名な「南天の床柱」、茶席に南天が使われるのは珍しいそうですよ。
夕佳亭のそばには「貴人榻」と呼ばれる椅子のかたちをした石もあります。
夕陽に輝く金閣寺、ぜひこの茶室から見てみたいですね♪
まとめ
その美しさは人の心も惑わしてしまうほど。ぜひ一度訪れてみてください。