高野山真言宗は、空海によって開かれた宗教です。
真言宗や空海という言葉は、学校の授業で聞いたことがあると思いますが、具体的な内容は忘れてしまっている人も多いのではないでしょうか。改めて高野山真言宗について調べてみましたので、参考にしてくださいね。
高野山真言宗とは?
高野山真言宗とは、真言宗の宗派のひとつです。真言宗には主だった宗派だけでも18種類あります。平安時代に空海が、唐は長安で密教を学び、帰国後に興した宗派です。
総本山は和歌山県の高野山金剛峯寺です。弘法大師の奥の院御廟を信仰の源泉としていて、1日2回空海の食事を運んでいます。
空海の人物像
空海は、774年に讃岐国である現在の香川県に生まれました。空海の家は地方豪族で、一般の家庭よりもリッチでした。
幼い頃から聡明な空海は、18歳になると長岡京(ながおかきょう)で猛勉強に励み、様々な教養を身に付けます。
ゆくゆくは、エリート官僚になることを目指して学んでいましたが、20歳頃に仏教の素晴らしさに魅了されエリート官僚の道から、一転仏教界へ進む事を決心したのでした。
空海と弘法大師の名前の由来
果てしなく広い空と海。若き空海が京の大学エリート時代、人生に悩み、両親・恩師の期待を振り切って難行苦行の修行僧となり紀伊・四国の山々を巡り歩いたとき、彼の眼前に開けた境地、宇宙の表現が空と海ではなかったか。彼が修行のためこもったといわれる海岸や山奥の洞窟からも空と海がよく見える。 自然と生命の母体である空と海を眺めて、これを忘れないように自らの悟りの名としたにちがいない。
この「弘法大師」は存命中の名前ではなく、入定後(死後)87年目にして醍醐天皇から高徳をしのんで贈られた諡号なのである。そしてそれから1100年もの間、「お大師さん」が続いているのである。
高野山の歴史
高野山は、およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた、真言密教の修行道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。標高およそ900m。山の上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地があり、そこにはさまざまなお堂や塔が立ち並び、仏像や曼陀羅が参拝者を迎えます。また、うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並んでいます。
弘法大師・空海は、国家の安泰、世界の平和、また、修行者のために、人里離れた山奥に、真言密教の根本道場を建立する願いを持っておられました。
宗教者にとって聖地とされる他、海外から旅行者が足を運ぶ観光スポットとしても有名です。
真言密教って?
弘法大師によって、平安時代のはじめに中国から日本に伝えられた神秘的な宗教で、「密教」の「密」とは「秘密」を意味します。 秘密といっても、その内容が隠されているということではありません。 その教えがあまり深遠で、その境地に達したもの以外にはうかがうことができないことを、意味しているため「秘密仏教」、すなわち「密教」と呼ばれました。
大日如来は物事の真理と宇宙そのものであると考えられています。
真言密教では、大日如来(毘盧遮那仏)が本尊。大日如来とは宇宙そのものみたいな如来で、その智慧などを図に現したものが曼荼羅(マンダラ)。真言密教ではマントラ(真言)と呼ばれる呪文のようなものを用いて心に大日如来を思い浮かべ、手では印を結び、口では真言を唱え、大日如来と一体となることで生きたまま現世での成仏を目指す――という宗派です。
一般の仏教では、人が悟りに達するには、気の遠くなるほど長い時間と厳しい修行が必要であると教えます。これに対して真言密教では、この身このままで仏になることができる(即身成仏[そくしんじょうぶつ])と説きます。すなわち、手に印を結び、口に真言を唱え、一心不乱に本尊を観念するならば、その人が本来持つ仏性[ぶっしょう]が顕現[けんげん]して、悟りを得ることができるとするのです。
その理由として、即身成仏の考え方が分かりやすく、修行をつめばすぐに効果が期待できるという点があげられます。
真言宗の教えとは
真言宗では宇宙の…いや存在しえる全てを仏とします。
根本の仏さまの大日如来が全ての仏さまを生み出したとされています。
(大日如来、から様々な仏さまが出現されているのは真言寺院で本堂に曼荼羅があれば、それを拝見されて下さい。)吹き抜ける風に中に、木々のざわめき、澄み渡る青空、荒れ狂う海原、
路傍に転がる石の中、あらゆるもに仏さまがおられて
停まる事無く説法をされているのです。
何気ない日々に感謝し、学ぼうとする意識を持つことが大切ですね。
高野山真言宗の奥深さ
即身成仏という概念は分かりやすく、宗教に馴染みが薄くなってきた私たちにも分かりやすい教えだと言えるでしょう。
日常のあらゆる万物に仏様がいらっしゃって、私たちに何が大切なのか教えを説いているのです。
当たり前に過ぎていく生活の中に何か意味を見出すことで、新たな発見や日々の尊さを学ぶことができるのでしょう。
空海と言えば、その筆さばきが有名です。
「弘法にも筆の誤り」はそんな空海の姿から作られたことわざです。