静岡県富士宮市の日蓮正宗総本山「大石寺(たいせきじ)」

富士宮やきそばでおなじみ静岡県富士宮市にある日蓮正宗総本山の「大石寺」。”おおいしでら”とか”だいこくじ”ではありません、”たいせきじ”ですご注意を。創価学会を破門したことでも良く知られているのではないでしょうか?

大石寺(たいせきじ)

大石寺 - Wikipedia (14011)

大石寺(たいせきじ)は、日蓮正宗の寺院であり、寺格は総本山。正応3年10月12日(1290年11月15日)、第二祖日興によって開創された。寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。開基檀那は南条時光。

山号は「多宝富士大日蓮華山」(たほうふじだいにちれんげさん)で、「大日蓮華山」と略すこともある。

日興の法脈を継承し、過去には、勝劣派、宗祖本仏論を奉ずる富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する 北山本門寺、 西山本門寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」と称される時代もあった。明治期には富士門流の統一教団日蓮宗興門派(のち本門宗)の結成に参加、興門八本山より輪番制で就任する同宗の管長には、第4代として日布、第15代として日応などが着任した。

大石寺の起源

大石寺 - Wikipedia (14028)

当山は多宝富士大日蓮華山(たほうふじだいにちれんげざん)大石寺と称し、正応3年(1290)10月、宗祖日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の法嫡(ほうちゃく)・第2祖白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興上人(にっこうしょうにん)によって開創されました。寺号の大石寺は、大石ヶ原(おおいしがはら)の地名に由来します。また開基檀那は、当地・富士上野郷の地頭であった南条七郎次郎時光です。
  日興上人は弘安5年(1282)、大聖人から一切の付嘱(ふぞく)を受けられ、大聖人の入滅後、身延山久遠寺(みのぶさん・くおんじ)の 別当職(住職)に就かれました。
  しかしその数年後、身延の地頭である波木井実長(はぎりさねなが)が、民部阿闍梨日向(みんぶあじゃり・にこう)のそそのかしもあって、徐々に謗法をおかすようになりました。師である日興上人は、再三にわたりこれを諫め諭しましたが、波木井実長はまったく謗法を改めようとしませんでした。
  そのため日興上人は、かねてより大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言によって、遂に意を決し、宗旨の根本である本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨など、一切の重宝を捧持(ほうじ)して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れました。そして大聖人以来の強信者である南条時光の請いに応じて富士へと移り、翌正応3年(1290)には大石寺を建立して、本門戒壇の大御本尊を安置し奉り、また多くの弟子達を養成して、宗門万代の基礎を築きました。
日蓮正宗総本山である大石寺。元々は日蓮宗のお寺として建てられました。
まずは日蓮正宗とはどういったものなのかを確認してみましょう。

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)

日蓮正宗公式サイト 総本山大石寺 (14019)

元は日蓮宗の一派だった

元々は日蓮宗の一派だったのですが、宗教団体法が施工される際に「日蓮正宗」として完全に別に分かれました(1941年)。
日蓮宗の中でも原理主義寄りの考え方の僧達が日蓮宗と袂を分かち”日蓮正宗”を立ち上げ、以後考え方の違いから次第に差異が大きくなっていきました。現在では全くの別物になってしまったようです。
以後徐々に勢力を拡大して現在にいたります。
日蓮の六人の弟子の一人日興は身延の地頭・波木井実長と意見の相違で身延山久遠寺を離山。後に、上野の地頭であった南条朝臣時光の招請を受けて正応3年(1290年)、富士山麓の大石ヶ原に移り住んだのが大石寺のはじまりである。これに供奉した主要の弟子が塔中(脇寺)を建立し、現在の大石寺の原型ともいえる姿ができた。

大石寺は、「本門戒壇の根本霊場」と位置づけられており、本門戒壇が建立されたときは正式寺号である大本門寺を公称するとの言い伝えもある。また、「本門戒壇の大御本尊」が安置されていることからこの世における唯一の常寂光土とも位置付けられている。

日蓮正宗 - Wikipedia (14024)

日蓮宗と日蓮正宗は別物

名前が日蓮宗と混同しそうで紛らわしいですが、現在は完全に別物です。ですが、大本は同じところから始まっているようです。
日蓮宗は”お釈迦様”を本仏としているのに対し、日蓮正宗はお釈迦様の師匠であったとされる”日蓮様”を本仏としています。
本尊についても異なり、日蓮宗は”日蓮直筆本尊(複写含む)”を本尊としていますが、日蓮正宗は独自の本尊”(板曼荼羅)”を掲げており他の本尊は(たとえ大本の日蓮宗のものであっても)全て偽者であるとしています。
さらには教義の内容も、ここではさすがに割愛しますがかなり差異があります。

戦後は主に創価学会員が支えていた

創価学会を破門した経緯を持つ日蓮正宗総本山「大石寺」はどんなお寺か? (14049)

大石寺は戦後に日蓮宗から離れて日蓮正宗に合流、その際には創価学会員らが様々に尽力していたとされています。
その後も多くの会員を持つ創価学会が経済面においても決して少なくない援助を行っていたようです。
大石寺は、主に戦後のあたりからは創価学会員によって支えられたお寺でした。毎年、年間200万人以上もの参拝客が来るお寺ではあったものの、そのほとんどが創価学会の方々。
大人一人の登山料は1,600円。それがお寺に収められる仕組みとなっており、これは大石寺にとってとてもありがたい仕組みとなっていたのは言うまでもないだろう。しかし、このような学会登山は40年もの間続いたものの、大石寺はこの仕組みを捨てたのです。
大石寺が創価学会を破門した後も、学会員の中で登山を続けた方はいなかったわけではないものの、多くの方が登山をやめてしまったという。
大石寺は創価学会が「創価学会名誉会長である”池田大作”をはじめとして大石寺をないがしろにしている、またその教義が仏教のそれとかけ離れている」などとして破門にしてしまいました。
現在でもその影響でお互いに折り合いが悪いようです。

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. そもそも納骨とは?via www.toyostone.co.…
  2. 今週末は、普段馴染みのない神社やお寺にお出かけしてみませんか??デートや…
  3. キューピッドの由来は幸せを呼ぶキューピッドの由来は、ローマ神話の愛の神クピドから来て…
PAGE TOP