万人塚から始まった東京都墨田区の回向院(えこういん)

東京都墨田区にある回向院(えこういん)は明暦3年(1657年)に開かれた浄土真宗のお寺です。当時約10万人が犠牲になる大火災があり、その鎮魂と冥福のためにと建立された「万人塚」がその始まりだといわれています。

回向院

回向院 | 歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺 (10395)

「振袖火事」と呼ばれる大火災により10万人以上が犠牲になり、その鎮魂と冥福のためにと万人塚と御堂が建てられました。これが回向院のはじまりなのです。
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。

この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。

この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。

振袖火事と呼ばれる大火災

起こりは、のちに「振袖火事」と呼ばれる大火災の犠牲になった無縁仏を厚く弔うためにと建てられたものです。
特徴は人に限らず、犠牲になった生き物全てを弔うことを目的としたことです。これにより以来、水子供養や動物葬も扱う寺院として現在まで続いています。
振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。

あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬・軍馬慰霊碑や「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養塔」「犬猫供養塔」「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」(三味線の革の供養)など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数ある。江戸三十三箇所観音参りの第4番札所であり、この馬頭観世音菩薩も徳川家綱の愛馬を供養したことに由来している。

回向院の「回向」とは

名所案内 | 回向院 | 歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺 (10420)


自己が行なった修行や造塔・布施などの善行の結果を,自己や他者の成仏や利益(りやく)などのために差し向けること。

死者の成仏を祈って供養を行うこと。 「親戚一同で-する」

浄土真宗で,阿弥陀仏の本願の力によって浄土に往生し,またこの世に戻って人々を救済すること。前者を往相廻向,後者を還相(げんそう)廻向という。

寺へ寄進すること。

回向文(えこうもん)を唱えること。また,その文。
回向院の起こりを考えれば、由来は②の「死者の成仏を祈って供養を行うこと。」でしょう。
大火災で喪われた多くの無縁仏の成仏を願って建てられた寺院ですから、その願いを寺院の名前としても残すことで犠牲者の冥福をより確かなものにしようとしたのでしょうね。

水子供養はじまりの場所という説も

「水子(みずこ)」というと現在では死産した胎児のことのみをさします。
江戸時代当時は胎児と生まれて一年を待たずに亡くなった嬰児(みどりご)のことをあわせて「水子(すいじ)」と呼んでいました。旧来子供は7歳までは神の子であるとされていました。亡くなっても葬儀は行わない、もしくは無縁仏として扱われていました。
水子供養というものが特に一般化したのは戦後以降で、比較的最近のことなのです。
陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するため寛政五年(1793)、時の老中松平定信の命によって造立されたもので、水子供養の発祥とされています。

江戸市民に知られていたこの矩形の板石の塔は、正面に小作りながら端正なお顔の地蔵菩薩坐像が浮彫りされ、その下に「水子塚」という大字が刻まれています。

現在では特に”両国回向院”と呼ばれている

回向院 - Wikipedia (10410)

東京都荒川区南千住五丁目に別院があり、現在では元の回向院を区別して特に「両国回向院」別院だったものを「南千住回向院」と呼ぶようになりました。
現在は別院だったものが独立して「豊国山回向院」となり、別院扱いではなくなっています。
場所は常盤線沿線で鉄道を敷く際に南北に分断され、のちにその南側が独立し「延命寺」となりました。

豊国山回向院

回向院 - Wikipedia (10409)

東京都荒川区南千住五丁目にある寺で、過去は両国回向院の別院。現在は独立して正称は豊国山(ほうこくさん)回向院。小塚原回向院とも。

1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。

この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。

この寺は常磐線沿線にあり、鉄道敷設の際に南北に分断される。その後分断された南側部分が独立して延命寺となる。

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