【淡路島】弘法大師が開いた東山寺は淡路島最古の木造建築

弘法大師が開いた淡路島にある東山寺。淡路島最古の木造建築でもありますが、一度廃寺寸前にまで陥ったことがあり、そこからある尼僧のおかげで立ち直ったという過去があります。幕末のドラマの一ページを飾る場所でもあり、秋には紅葉が非常に美しい寺です。

弘法大師が開いた東山寺

弘法大師

弘法大師

書家や文人としても名高い弘法大師は「空海」の名でも有名です。
東山寺は、嵯峨天皇の弘仁10年(820年)弘法大師がいざなぎ神宮の鎮護と庶民信仰の中心として開祖された由緒ある寺院です。
奥の院の麓に伽藍が建っていたものが、戦国時代の不慮の火事で焼失し、弘安8年(1286)466年後の時を経て現在の場所に再復健されました。
弘法大師によって開かれた東山寺は伊弉諾神宮の鎮護のために建てられた寺です。
伊弉諾は女性の神であるためからか尼寺として有名です。
 (11274)

戦国時代に入ると、淡路島は水軍を擁する安宅(あたぎ)氏が支配しますが、戦乱の中で羽柴秀吉らに攻められて最終的には滅亡。また、江戸時代には蜂須賀氏が徳島藩の領地としますが、檀家がない東山寺は次第に廃寺同然にまで衰退していってしまいます。

そんな時に現れたのが讃岐出身の「佐伯トミ」という女性で、ある時彼女の夢枕に弘法大師が現われ、東山寺の復興を託したと言われます。そして啓示を受けたトミは落髪し、尼僧「佐伯心随」となってこの地に入り、東山寺の再興に向けて心血を注ぎます。

一度廃寺同然になってしまいますが佐伯心随によって再興されます。
佐伯心随は石清水八幡宮へ「とある人々」の密書を届けるなどの活躍もあり、現在の美しい寺を取り戻します。

国の重要文化財

 (11268)

薬師如来像、十二神将像は本堂横に安置されている。
薬師堂に安置されている薬師如来像と十二神将立像は国の重要文化財。
道基上人の石清水八幡宮護国寺も例外ではなく、本尊であった薬師如来とそれを護る十二神将像も男山にうち捨てられてしまったが、道基上人は平安時代から人々の信仰を集め、多くの人々によっ守られてきたこれらの仏像がこのまま雨ざらしで朽ちていくことには耐えがたく、淡路島で東山寺の復興のために頑張っていた佐伯心随尼にこれらの仏像のすべてを託すことによって、少しでもこれらの仏像を後世に残すことを決意したのである。
明治2年(1869)6月12日にこれらの仏像は、人目を避けるようにして運び出されてこの東山寺に遷され、その後東山寺は佐伯心随尼により復興を遂げることになった。
幕末の頃、廃仏毀釈により多くの仏像が破壊されていました。
石清水八幡宮護国寺の薬師如来、十二神将も例外ではなく、
雨風にさらされ朽ちてしまうところを佐伯心随によって救われるのです。

あわじ花遍路19番札所

 (11265)

東山寺は四季折々の花が美しいがやはり紅葉が最も美しい場所として有名。
この地は、あわじ花へんろの19番札所にあたり、春のサクラや5月のフジ、11月下旬からのイロハモミジの紅葉が美しく、多くの参拝客で賑わっております。
紅葉まつりの頃には、紅葉のライトアップもあります。
紅葉シーズンは、車が多いかもしれませんので、運転には注意が必要かと思います。
11月になると美しい紅葉を魅せます。
ライトアップされる紅葉は必見です。
しかし、東山寺周辺は非常に道が狭く、時にはカーナビも機能しないほどの場所にあります。
反面、この奥まった場所にあることが大きなメリットとなり、
冒頭で紹介した「とある人々」の間でとても優れた場所として機能するのです。

維新志士とのゆかりもある

当時の淡路島は尊王攘夷運動の一拠点となっていて、反体制を掲げた多くの勤王の志士たちが淡路島に来島しており、特に山深い東山寺はいつしか彼らの密会の場所となって、梁川星巌や頼三樹三郎らが頻繁に出入りしていたそうだ。(庫裏には志士達の刀痕が残されているそうだ)
その「とある人々」とは「幕末の維新志士」です。
山深くにある東山寺は維新志士たちにとって格好の隠れ家となります。
屋根裏の梁には刀傷、また、志士の詩が残されているそうです。

【淡路市】東山寺~十三体の仏像に秘められた物語~

淡路市による紹介動画。東山寺に行く前にぜひ視聴していくことをお勧めします!

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. そもそも納骨とは?via www.toyostone.co.…
  2. 今週末は、普段馴染みのない神社やお寺にお出かけしてみませんか??デートや…
  3. キューピッドの由来は幸せを呼ぶキューピッドの由来は、ローマ神話の愛の神クピドから来て…
PAGE TOP