本能寺といえば、あの歴史的有名事件「本能寺の変」が起こった場所ですが、実際の事件現場は今の本能寺とは少し離れた場所にあります。いったいどのような場所なのでしょうか。現在の本能寺と本能寺跡へのアクセスの仕方をご紹介します。
本能寺は「本能寺の変」の現場ではない!?
本能寺は織田信長が明智光秀の襲撃により非業の最期を遂げた場所です。
本能寺の変の際に全焼した本能寺は、すぐに再建にかかりましたが、現在寺町にある本能寺は秀吉によって場所移されたものです。
全焼してしまった本能寺はその場所で再建することはありませんでした。
1591年に秀吉の命によって場所を移して再建されます。
つまり、今ある本能寺は本能寺の変があった場所ではない、ということですね。
本能寺はどこにあるの?
アクセス
地下鉄東西線 「市役所前駅」すぐ
JR京都駅 地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」乗換東西線へ、市バス「市役所前駅」下車
市バス・京都バス 「河原町三条停」下車すぐ京阪電車 「三条駅」下車 西へ徒歩5分
阪急電車 「河原町駅」下車 北へ徒歩10分住所
〒604-8091
京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
TEL
075-231-5335
FAX
075-211-2838
隣接している「大賓殿宝物館」を訪ねるのも良いですね。
重要文化財や信長ゆかりの品々も多数展示されています。
開館時間・・9:00~17:00
入館料・・・一般 500円
ホテル本能寺利用者 300円
中・高校生 300円
小学生 250円
修学旅行生 200円
身障者 200円
商店街のど真ん中にあります
寺町通りのアーケードは、御池通りから四条通りまでつながる一大アーケードで両側にいろんなお店がぎっしりある京都でも有数の商店街です。そんな商店街に、突然あの有名な「本能寺」があるので最初ここへ来たとき驚きました。
では、実際に本能寺の変が起こったのはどの辺りなのでしょうか。
本能寺の変が起こった場所はどこ?
織田信長が明智光秀に襲われ自害・焼失した本能寺は現在地の寺町御池ではなく、1582年(天正10)ごろは堀川四条の近くにあり寺域は東西150メートル、南北300メートル。本能寺の変後、豊臣秀吉が現在地に再建。現本能小学校は寺跡の中心で門前に立礼。
言わずとしれた「本能寺の変」の舞台となった場所。
1568(永禄11)年に足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長は京都には居館を構えず、妙覚寺や本能寺を宿所としていたという。
1582(天正10)年6月2日早朝、明智光秀により本能寺を襲撃された織田信長はこの地で自刃し、本能寺は炎上した。信長の「是非に及ばず」の言葉は有名。旧本能寺跡にはかつて本能寺小学校がありましたが、現在は特別養護老人ホーム、京都市立堀川高等学校、および本能寺会館などが2006(平成18)年に建てられています。
この石碑はその時に設置された新しいもの。
本能寺跡の周辺でちょっと一休み
信長茶寮(しんちょうさりょう)
営業時間・・・11:00~26:00
入館料・・・・大人(大学生含む) 500円
中・高校生 300円
小学生以下 無料
本能タイム入場料 一律300円
(会員は無料)
CafeやBarが併設されていますから、散策がてらちょっと一休みできます。
まとめ
歴史の大事件「本能寺の変」を感じたい!と思ったら、両方の場所を訪ねることをお勧めします。