神奈川県鎌倉市にあるお寺【東慶寺】。江戸時代、女性が離婚を申し出ることは許されることではなく、何をされても耐え忍ぶしかない中、全国で2つしかない駆け込み寺でした。現代ではカップルで訪れると別れるという噂は後を絶ちません。東慶寺とはどういったお寺なのでしょうか。
東慶寺の歴史
1871年に寺法は廃止、同時に尼寺の歴史も1902年に終了しました。
花の東慶寺
梅の名所として有名な東慶寺ですが、春には桜・夏の前には花菖蒲やアジサイ、秋にはコスモスや彼岸花、金木犀、紅葉、年明けの冬には椿や梅といった毎月それぞれ違った花が旬を迎え、参拝客を楽しませてくれます。
毎年4月には花祭りが開催されます。
花の開花状況など、『花だより』として配信されてますので、チェックしてみるのもいいですね。
江戸時代東慶寺の縁切りの方法
東慶寺が駆け込み寺だったからと言って、無条件に全てを受け入れていたわけではないようです。
一般的な離婚の方法
② 宿側が身元調査を代行(この時点で理由が明確でなけれは帰るよう説得される)
③ 女性の両親の呼び出し
④ 両親は女性(娘)の復縁を説得
⑤ 女性が納得しなければ、両親に夫と掛け合って現代で言う『示談』にするよう伝える
⑥ 示談が不成立だった場合、寺役人を夫の実家へ向かわせる。
・この時に、飛脚(先に伝達する者)が『嫁の件で、松岡御所(寺格高い尼寺)から役人がくる。
当日は夫も含めて家にいるように』というお達しを伝える。
⑦ そのお達しを受けた夫の両親は必死で離婚するように息子を説得する。
ただ、ここで成立しなければ少し面倒なことになります。
示談が成立しなかった場合
その際にかかる費用は全て夫もちになり、多額の負担がかかります。
そして何よりも出役するので、松岡一老院代(院代:寺格をもつ寺院の住職の代理)の言葉として奉書(寺法書)を、夫の父親が読み上げることになります。
内容を簡潔に説明すると・・・
『あなたの妻は寺に入ることになった。もし依存があるなら、証拠をそろえて寺役所へこい。このまま離婚届にサインするなら来なくてもいいし、これから先のめんどくさい手続きなどはこちらで処理する』
そのため、当時の夫たちは寺役人に対して反抗ができなかったようです。
当時の女性たちにとってまさに救世主であった東慶寺。
現代での役割は変わっているようです。
実は縁切りではなく、良縁を招く?!
しかし、『縁切り』としてのイメージが強いせいか、『カップルでいくと別れる』などという噂が広まっているようです。
しかし、ご利益は縁切りは縁切りでも『悪縁』です。
カップル・夫婦・友達に限らず、ギャンブルや借金、依存など人間関係や悪習などさまざま。
自分では『良縁』と思っていたことでも、のちに『悪縁』と分かるケースもあるようです。
東慶寺では、自分では気づかない『悪縁』断ち切ってくれるご利益があるようです。
そして、本当の『良縁』を残していただけるそうです。