【親鸞聖人】浄土真宗、真宗大谷派の寺院とは【東本願寺】

浄土真宗とは親鸞聖人が説いた教えで、大谷派と本願寺派に二つの派閥に分かれています。同じ浄土真宗であることには違いないのですが、相違点は様々。また地域差によるものも大きく、東日本は大谷派・西日本は本願寺派が多いのが特徴です。そんな浄土真宗の代表的寺院をご紹介します。

浄土真宗ってどんな宗教?

戦国乱世の時代、第8代蓮如れんにょ上人(1415~1499)は、その生涯をかけて教化に当たり、宗祖親鸞聖人の教えを確かめ直しつつ、ひろく民衆に教えをひろめ、本願寺「教団」をつくりあげていく。このことから、当派では蓮如上人を「真宗再興さいこうの上人(中興ちゅうこうの祖)」と仰ぐ。
京都東山にあった大谷本願寺は比叡山との関係で一時退転し、蓮如上人の北陸布教の時代を経て、山科に再興。その後、大坂(石山:現在の大阪市中央区)へと移転する。しかし、第11代顕如けんにょ上人(1543~1592)の時代に、織田信長との戦い(石山合戦)に敗れ、大坂も退去することとなる。この際、顕如上人の長男教如きょうにょ上人(1558~1614)は、父顕如上人と意見が対立し、大坂(石山)本願寺に籠城したため義絶された。天正10年(1582)に義絶は解かれ、天正13年(1585)本願寺は豊臣秀吉により大坂天満に再興。さらに天正19年(1591)京都堀川七条に本願寺(現在の西本願寺:浄土真宗本願寺派の本山)は移転した。顕如上人没後、一度は教如上人が本願寺を継ぐも、秀吉より隠退処分をうけ、弟(三男)の准如じゅんにょ上人が継職した。
浄土真宗とは親鸞聖人を宗祖とした宗教で、日本で一番多い宗教とされています。
また、同じ浄土真宗でも「本願寺派」と「大谷派」で分かれており、
西日本は「本願寺派」東日本では「大谷派」が多いのが特徴です。
二つの派閥が分かれたのは戦国時代にまで遡り、継承者争いによって「本願寺派」と「大谷派」に分かれました。

「本願寺派」を擁護したのは豊臣秀吉で、新たに「大谷派」を創設したのは徳川家康、
「大谷派」が分裂した形になります。

親鸞聖人

親鸞聖人

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 – 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる[注釈 6]。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え[1]」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。
親鸞は1173年(承安3年)、皇太后宮大進・日野有範の長男として生まれ、浄土真宗の宗祖とされています。
法然を師匠とし、「浄土往生」の真の教えを継承し、それを高めていくことに力を注ぎました。
親鸞について詳しく書かれた自伝や著書はほとんど残されておらず、
不明確な点が多くいまだに研究されています。
東本願寺 「本願寺抱牡丹紋」

東本願寺 「本願寺抱牡丹紋」

家紋と同じように神社や寺社にも紋があり、浄土真宗本願寺派は「抱牡丹紋」という紋が使われています。

東本願寺

京都 東本願寺

京都 東本願寺

京都府京都市下京区にある東本願寺は、浄土真宗大谷派の本山で、「真宗本廟」ともいわれます。
宗祖・親鸞聖人の御真影やご本尊の阿弥陀如来が安置されていたり、
女性の髪の毛と麻で編まれた「毛綱」という変わったものも展示されています。

大谷派の寺院を一部ご紹介

真宗大谷派札幌別院

真宗大谷派札幌別院

北海道札幌市中央区にある東本願寺の別院です。
我が真宗大谷派(東本願寺)教団は、明治3年(1870)7月、 当時弱冠19歳の
現如上人を責任者として、随員百数十名と共に 北海道の開拓、開教に着手いたしました。 
真宗大谷派高田別院

真宗大谷派高田別院

新潟県上越市寺町にある東本願寺の別院です。
承元々年(1207)、親鸞聖人越後後配流のご苦労を通しそのご縁をいただき、上越一円の門徒から建立が望まれ現 在の地に東本願寺直轄の高田掛所(別院の前身)として幕府寺社奉行から設立を認められたのが享保15年(1730)東本願寺第17代真如上人の時。この間設立に向けての運動は享保7年から8年間におよび展開され、幕府の新寺建立停止の 政策にもかかわらず寺社奉行への篭訴や入牢をも覚悟するほどの不屈な熱意で嘆願、掛所建立の願いが結実した。
真宗大谷派名古屋別院

真宗大谷派名古屋別院

名古屋市中区橘にある本願寺の別院です。
正式名称を「真宗大谷派名古屋別院」(しんしゅうおおたにはなごやべついん)と言い、尾張地方では古くから親しみをこめて「御坊さん」(ごぼうさん)とよばれてきました。近年では名古屋市営地下鉄の駅名としても使用されている「東別院」のほうが馴染みがあるかもしれませんね。
教えは親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする「浄土真宗」(じょうどしんしゅう)で、京都市にあります「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)(通称、東本願寺)」を本山とする「真宗大谷派」(しんしゅうおおたには)のお寺です。
桑名別院本統寺

桑名別院本統寺

三重県桑名市にある東本願寺の別院です。
桑名別院は正式名称を真宗大谷派桑名別院本統寺【ほんとうじ】と言い地域の方々からは「桑名のご坊さん」と呼ばれ親しまれています。
桑名の地は三重県の北部に位置し、古来より、伊勢・尾張・美濃の交通の要衝として栄えてきました。そのような地に、今から約400年前、慶長元(1596)年、本願寺第12代教如【きょうにょ】上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、三重の門徒衆の大切な儀式・聞法の中心道場として開創されたのが当別院の始まりです。
桑名別院本統寺は、江戸幕府第14代征夷大将軍徳川家茂公や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺です。
大通寺五村別院

大通寺五村別院

滋賀県長浜市にある本願寺の別院です。
湖北地方は真宗信仰の篤い地域であり、長浜別院大通寺とともにその活動の中心となっているのが五村別院です。五村別院は、慶長2年(1597年)頃、地元の有力者・大村刑部左衛門らが、本願寺第12世教如上人に寺地を寄進し、質素な聞法道場を建立したのが始まりとされています。「五村御坊」とも呼ばれ、教如上人や本願寺の教団を強く支えた湖北の門徒ゆかりの寺として、重要な役割を果たしてきました。
大通寺五村別院の本堂と表門は、重要文化財に指定されている貴重な建物です。
また、全国で唯一の「教如上人銅像」や「教如上人御廟」があります。
真宗大谷派難波別院

真宗大谷派難波別院

大阪府大阪市中央区にある本願寺の別院です。

東本願寺の別院としてはここが最南となり、大阪より南の地には東本願寺の別院はありません。

難波別院(南御堂)の創建は、今から400年以上前の安土桃山時代の末、1595年(文禄4)に、本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願寺」を建立したことに始まります。
創建から2年後の1598年(慶長3)に、豊臣秀吉による大阪城の拡張と、城下の町制改革でなどにより、大谷本願寺は現在の難波別院のある地へと移転します。

まとめ

今回は、大谷派の寺院の中で各地にある別院をご紹介いたしました。

皆様のお住まいの地域にある別院はみつかりましたでしょうか?
また、近所の寺院がどの宗派に属しているかを調べてみるのも面白いかもしれませんね。

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