いつもとは違う、旅行先でのテーマを「金運!」とか「勝負運!」という風にしてみませんか?今回は福岡に焦点を充て、勝負運を祈願するのにぴったりの神社をご紹介しようと思います!あなたもこれで運気アップ・・・!
宮地嶽神社
ご創建は、約1600年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
参道のうち、「男坂」と呼ばれる神社正面の石段から門前町を通り宮地浜まで至る西向きの参道は、約800mに渡る直線道路となっている。9月の秋季大祭においては、この参道を御神幸行列が牛車で往復する。また、この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、近年ではこの夕日と参道が一直線に並ぶ光景を「光の道」と称し観光イベントも執り行われている。
この時期には、石段に座ってこの夕日を見るための整理券が発行されるほどです。
また、宮地嶽神社のしめ縄は日本一なんだそうです!
この神社の一番奥の方にある、「不動神社」は、珍しい古墳の石室の中にある神社です。
この古墳は江戸時代まで盗掘にあっておらず、国宝10点以上が出土しています。
十日恵比須神社
「福岡懸神社誌」(昭和19年刊)によると、「香椎宮社家の武内平十郎(後隠居して五右衛門と称す)が博多に分家し、神屋と号して商売を営みました。此の者天正十九年(一五九一年)正月三日、年始に当り香椎なる父の家に至り、香椎宮、筥崎宮への参詣の帰途、浜辺潮先に於て、恵比須大神の尊像を拾い上げたる地に御社を建て氏の神と家運大いに栄えたと云う」とあります。当時、社は崇福寺境内にあったようですが、博多に分家した香椎宮ゆかりの武内家の一族が、最初は自宅に祀り、のち千代の松原に一社を建立したのが始まりらしいとのことです。
水城という地名などは1000年前に作られた大宰府を守るための水際の城ですが、
今では海岸線から20キロも入ったところにあります。
この恵比寿神社も今では海辺とは言えないところにありますが、昔は海辺、波打ち際だったようですね。
【十日恵比須神社】正月大祭七福神の中のえびす様・商売繁盛の神として崇拝を集めている十日恵比須神社で行われる博多商人の祭りです。
8日の「初えびす」に始まり、9日の「宵えびす」、10日の「本えびす」、11日の「残りえびす」の4日間、400軒ほどの露店が出て、賑わいを見せます。また、境内では空くじなしの福引が売られており、福笹(ふくざさ)とともに、福寄せ(くま手)や福起こし(ダルマ)、福俵などの縁起物などが当たります。
お参りのときに5円玉をもらって、翌年にその5円玉をお賽銭にあげ、また5円玉をもらって帰るのだとか。
筥崎宮
こちらのほうが古い神社ですね。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。 鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。
英彦山(ひこさん)神宮
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は、福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社。旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社。通称「彦山権現」。日本三大修験の霊場として栄えた神社である。
英彦山は北岳・中岳・南岳(主峰:標高1200メートル)の3峰からなるが、中央の中岳の山頂から山腹にかけて上津宮・中津宮・下津宮があり、その下に奉幣殿がある。また英彦山全域に摂末社が点在する。
當所(とうしょ)神社
當所神社(とうしょじんじゃ)は、福岡県朝倉郡筑前町当所にある神社。
正式には熊野神社だが、筑前町当所にあることから當所神社と呼ばれている。「當所(あたるところ)」の神として、宝くじの当選祈願、幸福祈願の神社とされている。
年末には祈願大祭も開催される。
勝負運や金運をアップしたいという方は、ぜひ足を運んでみてくださいね!