福岡県久留米市にある高良大社。古くから筑紫地方の重要拠点であったこの場所は山全体が神様と言われ、ご祭神は高良玉垂命と言われていますが、それがいったい誰なのかはいまだに良く分かっていません。古代筑紫地方最大の謎!高良大社のご祭神について調べてみました。
高良大社はそんなに古い神社なの?
筑紫平野の要衝、高良山の山腹に鎮座する高良大社(高良玉垂宮)は、古く、筑紫の国魂と仰がれ、筑後域はもとより、有明海沿岸や筑前にまでその信仰域を広げる。仁徳天皇55年(368年)の鎮座ともされるが、山内の出土遺物は太古の時代にまで遡り、その信仰の古さをみせる。
御井の地名由来の山麓井泉群や奥宮の霊水、馬蹄石などの磐座群に太古の自然信仰の痕跡をみせ、神籠石の名称由来ともなった神域の列石の謎は、歴史のロマンを誘う。
古田武彦の「九州王朝説」ではこの域に王朝があったともする。
中世の神仏習合期以降は山岳密教の霊山として栄え、のちには天台の一千僧徒が奉仕し、山内には二十六寺三百六十坊を数えたという。
・弥生時代の神功皇后の朝鮮出兵
・元寇の時の守りの砦
・秀吉の朝鮮出兵
高良山の地形が軍事拠点としても適していたのですね。
ご祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)
この社に関しては祭神論争が有名です。
祭神となっている高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)に関しては、「武内宿禰説」、「藤大臣説」、「彦火火出見尊説」、「水沼祖神説」、「景行天皇説」、「物部祖神説」、「饒速日命説」、「香春同神説」、「新羅神説」、「高麗神説」などなど、非常に多くの説が唱えられ、筑後における古代史の最大の謎とされています。
朝廷から正一位を授かるほどの神であるにも関わらず、正体は不明。
そこが筑紫古代史最大の謎なのですね。
一番有力なのは「武内宿禰(たけのうちのすくね)」
武内宿禰は(84年-367年「年齢については諸説あり詳細不明」)は、大和朝廷初期に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされています。中央諸豪族の祖とされます。
第12代景行天皇の時に蝦夷の征討を進言し、神功皇后の朝鮮出兵を決定づけ、忍熊皇子らの反乱鎮圧の際にも活躍したといいます。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の先祖とも言われています。
高良山周辺にある神社には、武内宿禰の子供たちが祭神として祀られている神社が多々あります。
高良大社の奥宮は武内宿禰の墓所
気になったポイントはこの奥宮、武内宿禰(たけのうちのすくね)の墓所ってことと、ここが高良山信仰の原点であるってこと。
高良大社の神様は「月神」?
武内宿禰に宛てる説が根強く行われてきた。
しかし、この神を月神と説くのも古縁起に共通した伝えであり、最近では『肥前風土記』に見える大足彦(景行)天皇の「高羅行宮」の伝承から、景行天皇の裔を称する筑紫地方の古代豪族「水沼君」の祖先神であろうとの主張も行われている。
観月祭高良の神さまは「月神」といわれています。
高良の神さまのご出現の日は陰暦の9月13日。いわゆる「十三夜」で、美しい月が見られます。
観月祭は、「月神・高良の神」にならい、月を愛でる祭りとして行われています。
それは次のようなことからも分かります。
高良大社の神様は神無月に出雲へ行かない!
10月は神無月ともいいますね。
それは、日本中の神様が、出雲に行かれるので、神様がいない月、神無月というのです。
出雲では、10月のことを神在月というそうです。ところが、高良大社の神様は、10月に出雲には行かないのだそうです。
ですから高良山の10月は神在月ということになります。これは高良山の宮司にお尋ねしたので間違いない話ですが、いったいどうしてなのかはよくわからないそうです。
これは、「ご神体が大きすぎる」という理由だそうです。
ということは、高良大社の神様も、他の神様が恐縮してしまうほど大きな存在だということなのかもしれません。
ご祭神も大物人物が想像されますね。
しかし、武内宿禰とのゆかりが深い事は確かです。