勝負のお願い事に強い神社は、どこが良いのかご存知ですか?
「お参りするために遠くまで出かける時間がない…。」そんな方も多いのではないでしょうか?
東京でお参りする、勝負運に効きそうな神社、5選をまとめてみました。
勝負運にもいろいろありますが・・・
そのどれに効くかはそれぞれのいわれにもよるようです。
いろんな神社を集めてみました。
穴八幡宮
穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田二丁目の市街地に鎮座している神社。蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮。社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。
1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。
1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。
もともとは、高田八幡宮というそうです。
皆中稲荷神社
天文二年(1533)九月二十七日武蔵国に鎮座以来約四百二十有余年になり、大久保発祥以来総社として鎮際せられた。皆中の稲荷と称され、さらに、鉄砲の射撃が百発百中で当たり、射撃のみではなく願い事もと参詣者の数も増え、ついには皆中稲荷神社と崇敬されるようになった。
富岡八幡宮
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。別名を「深川八幡」ともいう。1624年(寛永4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。創建当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。
八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であったという。
なお、長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。
当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。
そう言われると、東京に住んでいる人には場所が想像つきやすいかも。
こちらは江戸時代に建立された比較的新しい神社ですね。
東郷神社
原宿・竹下通りの近くにありながら、その喧騒をまったく感じさせない東郷神社。日露戦争でバルチック艦隊を撃沈させ、日本を勝利へと導いた元帥海軍大将・東郷平八郎命(とうごうへいはちろうのみこと)がまつられ、勝利運にご神徳あることで知られている。スポーツ、勉強、病気、恋愛・・・と、さまざまな事柄で勝利を手に入れたい参拝客がたえることなく、出世、資格取得のなどを祈願する人も多い。境内には、参拝者が願いごとをつづり、奉納したのぼり“必勝祈願幟(のぼり)”がずらりと並ぶ。
こんな大きな神社が都会の中にひっそりとあるなんて、なんだか神秘的です。
日露戦争のときの日本海海戦で勝ったという理由から、勝負運の神社のようですね。
福徳神社
関東の神社としてはすごく古いですね。
当社の創祀された時は明らかではありませんが、当社に伝わる略記によると、貞観年間(清和天皇・八五九~八七六年)には既に鎮座していたようです。武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としました。
その鎮座する社地は広く、社殿も宏壮で、社の四隣は森林、あるいは田畑に囲まれ、農家が散在する片田舎でした。土地の人は神社の森を稲荷の森、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と呼び親しんでいました。
後の明暦三年酉年(一六五七)正月八日の大地震により、一里塚は崩壊してしまいました。
当時の人々は、この散乱した碑石の残存した破片を集め保存したと考えられています。