【日本三奇のひとつ!】生石神社の浮石を知ってますか?

日本三大○○は数多くありますが、「日本三奇」はご存じでしょうか?もしご存じなくても、この記事を読めば訪れたくなること間違いなしの、大変珍しいものなのです。今回はそのうちのひとつ、生石神社の浮石にスポットを当ててご紹介します!

あなたは、「日本三奇」を知ってますか?

日本には古くから「奇跡」と伝えられる建造物があります。いつ、だれが、何のために、どうやって作ったのか?
その由来は、神話を含めて諸説あり、人間の常識や現代の科学をもってしても、未だにその明確な答えはありません。
江戸時代の医者、橘南谿が記した書物の中で、“3つの奇跡”と紹介されたことから「日本三奇」と呼ばれ、悠久のときを超え、人々を魅了し続けています。
どのようにしてそのような形になったのか…
まるでわからない「奇跡」のようなさまを持つものを「日本三奇」、と呼んでいるのですね。
では、その日本三奇とは…?

日本三奇・ひとつめ「天乃逆鉾」

霧島東神社の社宝「天乃逆鉾」

霧島東神社の社宝「天乃逆鉾」

高千穂峰の山頂に突き立てられた剣のようなこの石は、神話によると「イザナギ」と「イザナミ」の二柱が日本列島を作るときに大地に突き刺したものだとされています。

かつて坂本龍馬が新婚旅行でこの山を訪れ、引き抜こうとしたという書状も残っています。

なお、火山の噴火により本物は破損したため現在山頂にあるのはレプリカです。

日本三奇・ふたつめ「四口の神竈」

震災を予言!?御釡神社に伝わる「四口の神竈」

震災を予言!?御釡神社に伝わる「四口の神竈」

宮城県の御釜神社に伝わるこの「四口の神竈」は、神代に海水から製塩する方法を伝えた釜、と伝わるものです。

この釜は洪水が起きてもあふれず日照りになっても枯れることのないという不可思議な水を常にたたえています。

先ごろの大震災の前にも釜の水の色が変化したといわれている、今の世にあって神格を保ち続けている釜なのです。

そして日本三奇の三つめこそ、「生石神社の浮石」

生石神社(割拝殿)

生石神社(割拝殿)

JR宝殿駅から徒歩で25分、小高い山の奥にある生石神社。

この生石神社の御神体こそが、
日本三奇最後のひとつ、「浮石」なのです。

生石神社とは…?

人皇十代崇神天皇の御代(西暦九七年)日木全土に悪疫が流行して人民死滅の境にある時、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあり依りて此所に生石神社が創建せられたのである。以来忽ら悪疫も終息して天下泰平となる。
西暦97年の創建と伝わる、由緒ある神社なのです。
そしてこの生石神社の御神体こそが、浮石です。
「石の宝殿」とも呼ばれる浮石

「石の宝殿」とも呼ばれる浮石

境内の奥にあるこの浮石。

一目してまず、その大きさに圧倒されるでしょう。
そして下方に目をやれば、浮いている…!?
ように見えて、素直に驚かされるはずです。

1300年前の書物にも記録が残る「浮石」

霊亀元年(715年)前後に成立したといわれる播磨国風土記の一節に、「作石(つくりいし)あり、形は屋(や)のごとし。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもかくの如し、名号を大石(おおいし)という」という記述があり、聖徳太子の時代に、物部守屋によって造られた石と書いてあるそうです。確かに大きさもほぼ同じで、構造に「屋形」があり、その記述内容はまさにこの「石の宝殿」のことだと言われています。なんと8世紀前半から1,300年もの間、ここに在り続けているのですね。
聖徳太子の時代から、姿を変えずにあり続けている…
その神秘は計り知れないものを感じさせます。
浮石の下部。ほんとうに浮いているよう…

浮石の下部。ほんとうに浮いているよう…

まるで浮いているようにしか見えませんが、実は底面は彫り込まれており、完全に浮いているわけではないのです。

それでもこのバランスを長きにわたって保ち続けていることそのものこそ、人知を超えたものを感じさせます。

神社の裏山から見た浮石

神社の裏山から見た浮石

この角度から見ると、少し浮石の謎が解けます。

裏山の岩盤と浮石の岩が同一のものであるため、もともとはこの裏山と浮石はつながっており、彫り込まれてこのような形になった、ということが推察できます。

それでも遥か昔の時代のこと、たいへんな労力であったことは間違いのないことですね。

裏側にはこのような謎の突起が…

裏側にはこのような謎の突起が…

裏側に回ると、このような明らかに人の手によるものとわかる突起があります。

ただいったい何のために、何のかたちを作ったのかは…
諸説あるものの、謎のままです。

この浮石は、どういった目的で作られたものなのか…?

この形状からいって、人がなんらかの目的を持って作り上げたことに間違いはありません。
ではどういった目的なのか…、その真相ははっきりしていません。
いつ誰が、なぜ造ったのか。「神話も含め40以上の見解があり、はっきりしない」。市教育委員会文化財係の清水一文さんが教えてくれた。諸説をまとめると「今の姿は横倒しにして造形の途中で、最終的には底部に走る節理を利用して岩盤から切り離し、社殿に向いている面を底にして引き起こす計画だった。だが何かの事情で未完成に終わった」との見方が強いという。
裏側の突起を上にするような形で起き上がらせる予定だった…かも、しれないということ。
確かにあり得そうな考え方ですが…勿論真相はわかりません。
生石神社の社伝ではこう伝えています。
大己貴命と少彦名命がこの国を鎮めるのにふさわしい石の宮殿を一晩で造営としたが、阿賀の神一行の反乱を受けたため、石の宮殿の造営が未完成のままになった。二神は「未完成でも二神の霊がこの石にこもり、永久に国土を鎮めるだろう」と未完成のままの宮殿が生石神社のご神体「石の宝殿」と伝えられています。
やはり「未完成」である、とされています。

大きな石が浮いているというアンバランスな不可思議さは、
やむにやまれぬ事情で偶然的に生まれたものだった…のでしょうか。

百聞は一見に如かず。機会があれば一度訪れてみては?

最寄りの駅から徒歩25分、とけしてアクセスの良い場所ではありませんが、
日本中探してもこの光景にお目に掛かれるほかの場所はありません。

人間の手による人間に理解しきれないこの浮石の姿を目にして、
遥か昔の人々の意図を探してみるというのも、またとない貴重な経験となることでしょう。

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