稀代の陰陽師ゆかりの晴明神社。心を惹きつけられます。

「晴明神社」という名の神社は、日本中にありますが、その中から一つ上げるとしたら、やはり京都の一条戻り橋の近くにある晴明神社ではないでしょうか。言うまでもなく、稀代の陰陽師、安倍晴明ゆかりの神社です。安倍晴明の人となりと、どんな神社かご紹介します。

お母さんはお稲荷さん?

葛の野

葛の野

・・・おとぎ話や伝承の世界の主役にキツネがあります。あくまでもお使いでありますが、葛葉稲荷ではウカノミタマの大神やスサノオ命とともにキツネも神そのものです。
昔、大阪阿倍野の里に安倍保名という若者がいました。家の再興を念じてこの信太の森の稲荷へ
日参していました。ある日、お参りを終えて帰ろうとすると、一匹の白狐が走り寄って来ました。狩人に追いつめられて助けを求めてきました。保名は、草むらにキツネを隠し狩人達と争いになりました。傷を意識を失った保名が気が付くと、一人の美しい女性に介抱されていました。名は葛の葉といいました。数日後、保名の家へ葛の葉が訪ねてきて二人は心を通わせ夫婦となり、男の子が生まれました。・・・
その子は後、いろんな天皇に仕えられた、陰陽士”安倍晴明”です。
上の話は葛葉稲荷神社に伝わる伝説で、典型的な異類婚姻譚です。
葛の葉は子供の晴明の横で添い寝をし、晴明に狐の姿を見られてしまいます。
本物の姿を見られた葛の葉は森へ帰っていきます。

ちなみに、安倍保名は伝説上の人物と言われています。
母親がお稲荷さんとはいえ狐というのは、出自の低さを隠すためであり、
安倍晴明があまりに人間離れした才能を持っていたためだろうと思われます。

若い頃からとても優秀。

大徳寺真珠庵所蔵『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代)

大徳寺真珠庵所蔵『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代)

今は昔、天文博士の安倍晴明という陰陽師がいた。幼少より賀茂忠行という陰陽師に師事し、昼夜を問わず熱心に修学したので少しも不安なところはなく、昔の大家に勝るとも劣らない優れた陰陽師であった。
 晴明がまだ若かった頃のある日、夜更けに師の忠行と共に下京方面に出向く用事があった。晴明は牛車の後ろから徒歩でついて行ったのだが、師の忠行はというと牛車の箱の中でぐっすりと寝入っていた。
 どれくらい進んだだろうか、ふと晴明が前方を見遣ると、何とも言えない恐ろしい鬼達がこちらに向かってやってくるのが目に入った。
 晴明は驚いて車の後ろに走り寄り、忠行を揺り起こし事を告げた。忠行は驚き目を覚まし、鬼がやって来るのを確認すると、術法で自分と供の者達を鬼から隠し、何事もなかったように通り過ぎる事が出来た。
 それから後は、忠行は晴明をより一層傍に置き、陰陽道に関する知識を余す事無く彼に教えた。そこで、晴明は陰陽道に関して公私に渡り重宝され、優れた陰陽師として名を馳せたという事である。
上のお話は、今昔物語集巻24第16話の現代語訳です。
安倍晴明の先生が賀茂忠行で、彼に見いだされ、若い頃からその才能が顕著だったことが分かります。

賀茂忠行は実在の人です。
陰陽道を考える上で、とても重要な人で、
それまで分業制だった陰陽道をそれ全てに精通していた彼は陰陽道を一つにまとめました。
安倍晴明にとって、彼との出会いは、必要不可欠なものだったことでしょう。

あの道長とだってお知り合い。

藤原道長

藤原道長

今は昔、御堂関白こと藤原道長が法成寺を建立し、毎日、寺の御堂へ参詣していた。道長はまた、白い犬をかわいがっていて、参詣の時にはそれがいつも傍を離れず、お供をしていた。

さてある日。いつものように道長の参詣に、白犬が供をしていたが、一行が寺の門をくぐろうとしたとき、この犬が牛車の前に立ちふさがるように回り込み、中へ入れようとしない。・・・

「このようなことが起きたが、どうじゃ」と尋ねれば、清明、しばらく占った後で、「これは、我が君を呪詛するものが、埋められているのだと思われます。これを踏み越えられましたら、悪しきことになりましょう。犬というのは、通力のものであり、我が君へ危難を告げたのです」と答えた。

上の話は、宇治拾遺物語集巻14第10話の現代語訳です。
921年生まれで1005年没の安倍晴明と、966年生まれで1028年没の藤原道長は、
年齢こそ違えど同じ時代を生きました。
実際にあった話かどうか、今になっては確認しようもありませんが、似たような話はあったのでしょう。

晴明神社はお社内に入る前から始まります。

晴明神社の一条戻り橋

晴明神社の一条戻り橋

橋の横にいるのは式神です。
橋から約二百メートル北の晴明神社とのかかわりも深い。浄蔵の時代から八十年ほど後、陰陽師の安倍晴明は式神を屋敷そばの戻橋の下に潜ませ、予言や占いの際に操ったという。同神社の山口啄也宮司(四六)は「晴明の妻が式神が屋敷内にいるのを嫌がったため、橋の下の石棺に封じたとされる」と説明し、「都の内と外を隔てる地だったから霊的な物語が生まれやすかったのでは」と話す。
ここでいう橋とは一条戻り橋のことです。
死者がよみがえる橋と言われていました。
式神の像付きの写真は、お社内にある一世代前の橋の石を作った縮小版です。
堀川にかかる実際の橋は幅10メートルほどの橋で、交通量もあります。
今でも、婚礼時や葬列はこの橋を通ることを避けるそうです。

「晴明井」の水を一口いただきましょう。

晴明井

晴明井

晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲んでいただけます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。
晴明神社には、この「晴明井」以外にも、神社が保有する肖像画を元にしたというかなり素敵な感じの晴明像や、
晴明が存命時、朝廷からの使者などに対しては屋敷の門が誰もいないのに開閉したという、
言い伝えを再現した四神門などがあります。

晴明の魅力に触れに行きましょう。

疫病神退治をする安倍晴明(泣不動縁起より)

疫病神退治をする安倍晴明(泣不動縁起より)

安倍晴明は実在の人ですが、早い段階から神秘的な存在となりました。
この神社を作ったのが一条天皇であったことからも、陰陽道の知識だけでなく、
一人の人間としても魅力的な人だったのだろうと推測されます。
晴明が在りし日、生活をした場所で、彼を懐かしんでみてはいかがでしょうか。

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