いま若い女性を中心に空前の戦国時代ブームが巻き起こっています。大河ドラマなどでも戦国時代をテーマにしたものは高い視聴率を誇っています。そんな戦国時代を築き上げた人物として欠かせない豊臣秀吉に縁の深い場所を今回ご紹介しようと思います。
豊臣秀吉とはどんな人物?
尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)で生まれました。
農民という低い身分の出身でありながら天下人まで登りつめ、戦国の下剋上の代表といえる人物に。
墨俣の一夜城建築や本能寺の変からの中国大返しなどで数々の功績を残し、天下統一を果たします。
織田信長の草履取りで懐で草履を温めていた逸話が有名ですね。
豊臣秀吉はきらびやかな装飾などを好み、関白に就任した翌年に黄金の茶室を作らせるなどし、
絢爛豪華な生活を送っていました。
その反面、子宝にはなかなか恵まれず、
正室である北政所(ねね)との間や多くの側室との間にも子は生まれませんでした。
しかし、信長の妹である市の娘・茶々(淀の方)との間に待望の男子が誕生します。
茶々との最初の子である鶴松は齢3歳で病死しますが、1593年に鶴松(後の豊臣秀頼)が誕生しました。
そして1598年9月18日、秀吉は秀頼の成長を見ることなく亡くなりました。
豊臣秀吉ゆかりの地【豊國神社】
京都府・石川県・愛知県・岐阜県・滋賀県・大阪府・広島県・徳島県・福岡県にあります。
いずれも豊臣秀吉公を主祭神としていますが、
大阪の豊國神社では豊臣秀頼公・豊臣秀長公もお祀りしています。
豊臣秀吉公は天文6年元旦、この尾張中村の地にお生まれになりました。明治17年7月、当時の県令(県知事)国貞廉平氏及び地元崇敬者の人々が秀吉公の御神徳を宣揚すべく計り、明治18年8月に創建されました。
農民の子に生まれ、後に天下人まで昇りつめた秀吉公は 出世、開運、茶道、建設 等の文化の神として親しまれ、 毎日多くの方にご参拝頂いております。
こちらの中村公園(愛知県名古屋市中村区)内にある豊国神社は、秀吉公の出生地に建てられています。
また、公園内には豊公誕生之地碑や中村公園記念館などの歴史的価値の高いものが多くあります。
豊臣秀吉ゆかりの地【常泉寺】
当山は、始め豊国大明神の廟堂として、慶長中肥後守加藤清正・開山圓住院日誦上人とで創建されました。
御神体は豊太閤の肖像束帯唐冠(長さ二尺余り)で木食興山上人の彫刻です。始めは大阪城にあった御神体を清正が秀頼公にお願いして此地に鎮座し奉りました。正殿拝堂及び廊門巍々玲籠として東海地方では壮観な寺院仏閣と言われております。又正殿の一宇を営み秀吉の宅跡を以て太閤山と号し、古井戸は同公産湯の瑞水で涸れることのない名水の清泉が湧き出るので常泉寺と名づけられ、廟堂の別当としました。
境内には「豊太閤産湯の井戸」や「御手植えの柊」があります。
豊臣秀吉ゆかりの地【大阪城】
豊臣氏の居城・政治の本拠地とされ、豊臣家の権力の象徴ともされていましたが、
1615年大坂夏の陣で落城します。
現在の大阪城館内は資料館となっており、
戦国時代の物をはじめとする貴重な文献などが数多く所蔵されています。
本丸内には、もと紀州御殿の庭(回遊式日本庭園)や刻印石広場のほか、金蔵、金明水井戸屋形、桜門などの重要文化財、博物館があり、大阪城の歴史を物語っています。
天守閣は昭和6年、御大典記念事業のひとつとして、多くの市民の力で再建されました。
まとめ
豊臣秀吉の出生地から、天下統一を果たした象徴の大阪城までをご紹介しました。
古戦場なども含めれば、ゆかりの地はまだまだたくさんあります。
ご興味のある方は、ぜひとも足をのばしてみてはいかがでしょうか?