親戚一同が集まるお盆。お供え物を用意して行ったけれど、物によってはまさかのマナー違反なんてことも…。そこで今回は、人に聞きづらいお供え物の相場や、品物の選び方、さらにちょっとした豆知識までをまとめてみました。大人のマナーとして、知っておきたい情報ばかりですよ♪
お盆のお供え、五供
お盆のお供えについては、「五供」という決まりごとがあります。
これはほとんどの宗派に共通するものです。
五供には、
•香(こう)
•花
•灯燭
•浄水
•飲食(おんじき)があります。
「香」はお香、つまりお線香。私たちの心と身体を浄化するためです。
「花」は私たちの心を現すもの。お供えに使うなら、トゲのある花は避けましょう!
「灯燭」は光。仏様の叡智と慈悲を現します。
「浄水」は水です。きれいな水で、心の洗浄をするという意味を持ちます。
最後の「飲食」は、文字通り食べ物。主食であるご飯をお供えすることが一般的です。
ご飯が炊きあがったら、最初にご先祖さまの分を取ってお供えしましょう。
NGのお供え物
お盆の時期に、殺生をしてはいけないと、
考えられているので、お肉や魚のお供えは、
基本的には、避けた方が良いです。地域によっては、草抜きや木の枝を切る事も、
お盆にはしないところもあるようです。
しかし、殺生を連想させるナマモノは避けた方が良いでしょう。
お盆は夏なので、腐敗の心配もあります。
お菓子や果物などを選ぶのが無難です。
お供えの掛け紙を
お盆のお供えの”のし”には”掛紙(かけがみ)”をつけます。のしと一般に言われているのは、熨斗鮑(のしあわび)の略で、
お目出度い事に使う掛紙の右上についているものがその名残です。
ですので、お店などでお供え物を購入する際は
『お盆用のお供えなので「掛紙(かけがみ)」をつけてください』とお願いします。
名前はフルネームを入れた方が、受け取る側も分かりやすいです。
その下に自分の名前を入れますが、親戚が多く集まる場ですからフルネームの表記をおすすめします。
「御供」や名前も、地域によっては薄墨で入れる場合もあります。
水引の色も違う場合がありますので、事前に確認しておきましょう!
お供えする時の心配り
仏教の考え方では、ご先祖さまが何を召し上がるかというと「香り」を召し上がります。線香を焚くのも、お供え物のご飯に温かいものを使うのも、香りを召し上がるという考え方からです。その意味では、香りが楽しめるように封を開けておくのがマナー。ワンカップなどのお酒も、開封しておいておくのがよいのです。大切なのは「召し上がってください」という気持ち。それを伝えるためにも、封を開けておくのが緒墓参りのマナーだったのです。
なお、お供えしたあとの食べ物や飲み物はどうすればよいのでしょう? これはお墓参りの帰りにきちんと持って帰ります。そして、家に戻ったらそれをみんなで食べるようにしましょう。それが供養になるのです。
お供え物の封は開けておく、という心配りを忘れないようにしましょう。
下げた後は、捨てずに有り難く頂きます。
お下がりを頂くことで、ご先祖様との繋がりを強くするという意味があります。
品物ではなく、お金をお供えする場合は
3,000円~1万円程度の御仏前やお供物を準備します初盆・新盆のお供えとは、法要にお招きいただいた時にご供養の気持ちを込めて持参するものです。
お 香典として現金をお包みするか、お供えとして品物を用意します。地域により両方の場合もあります。
相場は目安として3,000~10,000円が一般的です。地域性や故人とのご関係はもちろん、法要後にお食事が振舞われる場合はその分を考慮して決めると良いでしょう。
現金を包むにあたって迷うのが、新札にすべきかどうかですよね。
葬儀の際の新札はNGですが、お供えの場合は新札を使っても問題はありません。
「新札は何となく気が引ける・・・しかし古いお札では・・・」と迷った場合は、
新札の真ん中にだけ折り目を付けてから使うと良いでしょう。
ナスやキュウリの牛馬、意味は?
なすときゅうりで作った 牛馬の飾りを見た
ことのある人は多いと思います。これらは、精霊馬(しょうりょううま)という
名前で呼ばれ、なすが牛、きゅうりが馬の飾り
となっています。
馬は早く先祖の霊に帰ってきてほしい、牛はゆっくりあの世へ戻ってほしいとされているところもあれば、ゆっくり丁寧にお迎えしたいから牛で迎えて、急いで帰ってもらうために馬をお供えするという逆の地域もあります。牛にはまた、たくさんの供物を乗せて持って帰ってもらうという意味もあるといいます。
お盆の代表的なアイテムと言ってもいいでしょう。
地域によってはなんと、バナナやトウモロコシなどを使う場合があるようです。
どの食材を使うにせよ、旬の物であることが共通しています。
それは作物が無事に育ち、収穫できたことをご先祖様に感謝する気持ちが込められているからです。