せごどんが始まる前に行っておきたい!西郷隆盛ゆかりの地

2018年のNHK大河ドラマ「せごどん」の主人公である西郷隆盛は、西南戦争を経て波乱万丈の人生を足早に駆け抜けていきました。その足跡をたどってゆかりの地を巡ってみましょう!鹿児島に今も息づく西郷隆盛への思いも伝わってきます。

鹿児島の観光地に見る西郷隆盛への敬愛

鹿児島桜島

鹿児島桜島

桜島の噴火や、霧島の温泉、屋久島の屋久杉など自然を満喫できる観光地として人気の高い鹿児島は、
西南戦争の激戦地であったことでも有名です。
歴史に詳しくない人でも、西郷隆盛の銅像は知っているという人や、
坂本竜馬とのつながりを様々なドラマで見たという人もいることでしょう。
地元鹿児島には、西郷隆盛や西南戦争にゆかりの地がたくさんあります。
歴史を感じる場所は、鹿児島の人たちの心のよりどころになっている「敬天愛人」の精神を感じる場所でもあります。
鹿児島の旧家では、西郷隆盛が座右の銘とした「敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉を今でも額に入れて飾っているお宅があるほど、西郷隆盛は地元の誇りであり、シンボル的存在なんですね。

西郷隆盛の人となりと功績

西郷隆盛が幕末に活躍したことを知っている方は多いと思いますが、実際にはどんな人で何をしたのでしょう?
西郷隆盛のゆかりの地を巡る前に、まずは西郷隆盛の人物像をイメージしてみましょう。
西郷隆盛像

西郷隆盛像

西郷隆盛の見た目って銅像そのもの?

維新の三傑のひとりが西郷隆盛です。
後の2人は、同じ鹿児島の大久保利通、山口の木戸孝允になります。

外見についていかつい人かと思いきや、実は謎につつまれています。
写真が嫌いだった西郷隆盛は、いろいろな伝説と共に外見もイメージされてしまったという人もいます。

目鼻立ちははっきりとしていて、眼力があったということです。
また、小さいころから腕っぷしは強かったということで、力持ちで体も大きかったと言われています。

西郷隆盛が行ったこと

西郷隆盛は、江戸幕府を倒し新しい世の中をつくろうと翻弄した人物です。
連合郡を率いて大活躍をしました。
これによって、近代日本は世界に追い付くことができたのです。

坂本竜馬や木戸孝充とともに抵抗する幕府軍を追いつめた西郷隆盛は、
最後は政府と袂を分かったために切腹しました。
西郷隆盛の最後まで自分の意志を貫いたところに感動を呼び、
多くの人たちが西郷隆盛の精神を受け継ごうとしているのかもしれません。

西郷隆盛が慕われる理由

西郷隆盛は人としての器が大きかったと言われていますが、
薩摩藩においては慕っていた島津斉彬に先立たれたり、
月照というお坊さんと身投げをしたりとなども死に直面しています。
また、鹿児島ならではなのでしょうが、奄美大島、徳之島、沖永良部島といった島々へも流されています。
そんなつらい人生を乗り越えてなお、家族や鹿児島、日本のために活動し続けたからこそ
エネルギッシュな人として慕われているのですね。

西郷隆盛ゆかりの地を巡ろう

西郷隆盛のゆかりの地は、鹿児島のみならずあちらこちらにあります。
鹿児島市内にあるゆかりの地を巡るだけでも、
西郷隆盛がいかに鹿児島の人たちに慕われているかがわかります。

城山

城山からの夜景

城山からの夜景

鹿児島市内のほぼ中心に位置する標高107メートルの小高い山が城山です。
自然がそのままに残っているこの地では、クスの大木やシダ、サンゴ樹などを見ることができます。
遊歩道があり、600種以上の温帯・亜熱帯性植物を見ながらの散策を楽しむ観光客が多いです。

展望台からは鹿児島市内を一望できるだけでなく、桜島や錦江湾も見ることができます。
天気が良ければ指宿や霧島も望めます。

城山は西南戦争の最後の激戦地です。
そのため、西郷洞窟や西郷終焉の地の史跡があります。

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

西南戦争で激戦を続けてきた西郷隆盛の軍も、最後は解散してしまいます。
そのあと桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちと西郷隆盛が鹿児島に戻ってきたのが1877年の9月でした。
そのあとの5日間、西郷隆盛が過ごしたのがこの西郷隆盛洞窟です。
西郷隆盛ゆかりの地としてはもっとも有名な場所になります。
その場所は城山にあり、洞窟の入り口を見ることができます。

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

追い詰められた西郷隆盛の一行は、1877年9月24日の明け方に一斉砲撃を受けました。
敵陣目掛けて最後の抵抗をしましたが、最後は銃弾に倒れてしまいます。
先がないとみた西郷隆盛は、別府晋介に介錯をさせ、自分の首を敵にとられないようにしたと言われています。

現在の終焉の地には記念碑が建てられ、その碑文にはその時の様子が記載されています。

私学校跡

私学校跡地の塀に残る銃弾跡

私学校跡地の塀に残る銃弾跡

西郷隆盛が賞典禄を基金とした青少年の教育の場として鹿児島の士族のために創設した私学校です。
私学校は西南戦争の際には激戦地となったため、
今もなおその石垣には政府軍から受けた弾痕が数多く残っていて、戦争の激しさを思わせています。
この地が西郷隆盛のゆかりの地ではありますが、現在の場所は若干移動しています。

忘れてはならない鹿児島にある西郷隆盛の銅像

西郷隆盛銅像

西郷隆盛銅像

西郷隆盛のゆかりの地を巡るのであれば、忘れてはならないのが西郷隆盛の銅像です。
この銅像は、鹿児島出身である彫刻家「安藤照」が製作しました。
台座を含めた高さは14mほどあります。
最後隆盛のゆかりの地を巡るのであれば、最後にはやはり行きつきたい場所です。

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