島国日本にとって、魚は古くからのタンパク源として食べられてきました。また、お祝いの席にも欠かせない縁起の良い食材です。そんな縁起物の魚介類たちを調べてみました。ぜひお祝いの席でみんなで楽しく食べたいですね。
お祝いには鯛!
メデタイという語呂合わせから、お祝いの席の定番になっている鯛ですが、
その色合いや味なども縁起がいい場面にぴったりの魚と言われています。
その色合いや味なども縁起がいい場面にぴったりの魚と言われています。
鯛は「目出度い」に通じ、縁起の良い語呂合わせになる上(鯛の語源は「平魚《たいらうお》」から、との説が有力ですが、ヒラメやカレイならともかく、鯛の形が平らかどうか、少し疑問が残ります)、脂の乗り切った桜鯛は味も極上。古代から赤を神聖視してきた日本人は、祝いの席には欠かせないものとして、鯛……特に桜鯛を重用してきました。
生まれて100日ほどの子どもが食べ物に困らないようにと祈願して行う「お食い初め」の行事でも、
鯛は大切な食材として登場します。
鯛は大切な食材として登場します。
初がつおで一年の幸を願います
via kochinet.info
カツオは古くから食用にされてきた魚です。鎌倉や江戸時代には、相模湾の鎌倉沖でとれるカツオは、ブランドのように「鎌倉のカツオ」としてもよく知られています。現在でも、相模湾や相模灘、さらに沖合いの伊豆諸島近海でもカツオの時期になると釣れています。
もともとは、決して高級な魚ではありませんでした。
身が締まった(固い)魚ということでカタウオ→カツオと呼ばれるようになったという説もあります。
身が締まった(固い)魚ということでカタウオ→カツオと呼ばれるようになったという説もあります。
江戸っ子の間では「初物を食うと75日長生きする」といわれていました。
そして当然初鰹もとなるわけですが、カツオだけは「勝男」ということで偉く縁起が良い。
よってめでたく10倍の750日長生きするという特別待遇をされたわけです。
江戸時代には100万円ぐらいつぎ込んで買った人もいたようですね。
出世を願って鰤(ブリ)を食す
成長過程によって呼び名が変わる魚を出世魚と呼びますが、その中でも鰤は最も愛されている魚でしょう。
地方によって様々な名前があり、日本中で50もの呼び名があると言われています。
地方によって様々な名前があり、日本中で50もの呼び名があると言われています。
これは漁師さんが商売しやすいように、成長度合いによって名前が付けられたようです。例えば、成長が早い魚は、1年経つと一回り以上大きさが変化します。
そうなると、大きさによって用途や味が異なり、さらに商品価値も異なる場合には、
これらを同じ名前で呼ぶことが不便になることもあります。そのため、成長によって名前を変えているのですね。
地域によっても呼び方が様々なようです。
古来、縁起のいい魚とえいば「鯉」だった
via zenigame.com
交通が未発達だった時代、海から遠い内陸でのお魚といえば、鯉が一番のご馳走でした。
鯉は滝を上り龍になるという伝説から、出世の象徴とも言われています。
栄養面から、薬膳の食材として利用することも多いようです。
鯉は滝を上り龍になるという伝説から、出世の象徴とも言われています。
栄養面から、薬膳の食材として利用することも多いようです。
内陸部で人気の高い高級魚として、鯉(こい)があげられる。古来、東洋では鯉は出世魚として定評ある魚、男子の成長を祝う端午の節句の鯉幟(こいのぼり)に象徴されるように縁起の良い魚である。鯛と鯉は縁起の良い高級魚の双璧だった。ただ京都が内陸部にあったため、流通の事情で鯉に分があったようである。
長寿を象徴する海老
形や色が豪華な海老は、お祝膳には欠かせない海の幸です。
伊勢海老など大型の種類から、小型のものまで様々な料理に使われていますね。
伊勢海老など大型の種類から、小型のものまで様々な料理に使われていますね。
エビは古くから長寿 の象徴とされ、お祝いなどの贈答や、おめでたい料理にぴったりの高級食材として有名 です。
海老はどうして縁起がいいの??
『長寿の象徴』
・曲がった腰と長いヒゲという見た目
・脱皮を繰り返すため、成長と新しく生まれ変わるという験担ぎ
・真っ赤な姿で紅白のお料理にぴったり
・威勢がよく、力強さと生命力の強さ
「ふぐ」をふく(福)と呼ぶ地域
産地では、ふく(福)と呼び縁起のいい魚として愛されています。
昔から関西中心に人気のある魚でした。
今では、淡白で上品な味が好まれ、全国的に人気のある高級魚として知られています。
昔から関西中心に人気のある魚でした。
今では、淡白で上品な味が好まれ、全国的に人気のある高級魚として知られています。
山口県下関市をはじめ、九州の一部では「フグ」のことを「フク」と呼ぶ文化があります。
いまでこそ濁りをつけて「フグ」と呼ぶのが正式となっていますが、
古い文献によると「フク」と濁らずに呼んでいたようです。
古い文献とは平安時代の書物のひとつで、その中に「布久(フク)」という記述があり、
いくつか由来があります。