昭和の日って昔はみどりの日だったよね。
あれっていつから昭和の日になったんだろう。
なんで名前が変わったの? どんな理由で?
実は裏には色々と大人の事情というものが絡んでいたんです。
そんな意味深な昭和の日の由来をまとめてみました。
そもそもの始まりのみどりの日とはなんなのでしょうか?
昭和天皇の誕生日である4月29日は、国民の祝日である「天皇誕生日」とされていた。その後、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日に改められることとなったが、ゴールデンウィークの一角を構成する祝日を廃止することによる国民生活への影響が懸念されたことから、4月29日を「みどりの日」と改めた上で祝日として存続させることとなった。
「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなんだ名がふさわしい」という主旨の意見が多数を占めたからであるとされている。
じゃあ、どうして昭和の日に変わったの?
本来ならその趣旨に沿うように「昭和記念日」「昭和の日」ととすべきなのですが、政府はその祝日に「みどりの日」という
名称をつけました。
しかしその後、やはり本来の意味である「昭和の日」に名称を
変更しようと多くの国民からの要望もあり、2007年に「みどり
の日」から「昭和の日」への変わったのです。
昭和天皇崩御の時には『昭和記念日』という名前になるトコロだったんですね〜しかしあまりにも反対意見がたくさんあり、「みどりの日」という名前を経て、現在の「昭和の日」になったという経緯があるんです。
これは昭和天皇をしのび、昭和という時代の苦難と復興を忘れないようにするため、ということです。
じゃあ、大正の日は?
大正天皇の在位中は「天長節(天皇誕生日)」はありました。即位の年と翌年は8月31日に式典が行なわれましたその死後に誕生日や天長節が祝日になることはありませんでした。
その理由としては、亡くなった1920年代半ばという時期の特殊性が考えられます。そんな時代に天皇が病弱であることは、天皇の権威を失墜させかねないし、国内の統治秩序にも問題が生まれかねません。
そこで政府は、能力のある若き皇太子を「摂政」という形で前面に押し出し、大正天皇の死後は新天皇に人々の関心を向かせることで、すみやかに天皇のイメージアップをはかろうとしたようです。
そのため、「大正」という時代を忘却させるためにも、記念日の類を設定しなかったと考えられます。
特に休日を決めるなどというのは国民の生活スタイル、ひいては国の経済力にまで影響してくるのでおおごとですね。
明治の日はどうなってるんだろう?
11月3日は明治天皇の誕生日で、明治時代は天長節、その後は明治節として祝われていた。しかし、終戦後の1948年に成立した祝日法は明治節を廃止。日本国憲法の公布日とされたため、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ための祝日とした。
明治の日を制定しようとする動きもあるらしい。
政府より明治維新から数えて150年目を迎える2018年に明治の日記念事業を行う事が発表されました。明治時代は今現在の強い日本を作った礎となった日本史の中でも非常に重要な時期です。
江戸時代から明治時代への激動の時代でした。
そんな中、今の強い日本のベースを作ってきた明治の人々の精神を学び、日本の強みを再認識させる狙いがあるようです。
政府ではすでに推進室を立ち上げ、更なる具体的な事業計画の作成に着手したようです。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ための祝日である文化の日にはみなさん興味はないのでしょうか?
自由と平和って好きなんだけどな〜
まとめ
みどりの日から昭和の日への制定には色々な理由があったんですね。
他にも明治の日の制定をしようとする動きがあるとは面白いですね。
仮に文化の日がなくなっても自由と平和は大事にしていきたいものです。