鳥越神社から始まる、平将門聖域伝説。その全容を、7つの神社をご紹介し、コラムをはさみながら、解明します。埋まっていると言われる将門の体や武具の部位も浮上します。なぜ将門伝説は今に残され、謎が深いのでしょうか。お読みになってスッキリ、平将門伝説を理解して下さい。
北斗七星の1~7番の柄杓(ひしゃく)の印が浮かび上がります。
それは平将門伝説を結ぶ線ですが、その伝説は、将門の怨霊に住民が苦しみ、その慰霊をしたのが始まりです。
江戸時代には大飢饉など、将門の霊に無礼を働くと災いが起きるとされました。戦後も、将門伝説の跡地に建設しようとしたら死者が続出したなどで、北斗七星の聖域の印が残されました。
① 鳥越神社 〈北斗七星〉
鳥越神社
その後、平安時代後期の戦争のおり、源頼義とその子義家がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知って川を渡れたので、鳥越大明神となりました。
東京都台東区鳥越にあります。
平将門の怨霊は、非常に恐れられていました。災厄を払う目的で、将門伝説は生まれました。
伝説において鳥越神社が重要拠点なのは、災いを守るとされる北斗七星聖域1番ヶ所だからと言えます。
神社の宮司が、平将門の末裔(まつえい)とされる点も注目です。
七曜紋(しちようもん)
模様は、画像の向かって右のものです。一つの丸を囲んで六つの丸を描き、合計七つの星を表しています。これは、北斗七星信仰における模様です。
② 兜神社 〈兜〉
その後、源義家が戦に出陣する前に、兜をささげて勝利祈願をしたとされています。
東京都中央区日本橋兜町にあります。
平将門が使用していた兜が埋まっているという伝説があります。
平将門の故郷への想い
平安京へ行き、藤原忠平と主従関係を結び、12年ほど京都に滞在しましたが、官位は低く、関東へ戻りました。
平将門の乱では、将門は巻き込まれる形となります。何故でしょう。
平将門は故郷の百姓を重視し、一族との闘争に及びました。それが平将門の乱の根本です。
③ 平将門の首塚 〈首〉
将門の怨霊に苦しんでいた住民を救うため、1307年、この首塚古墳が建立されました。
東京都千代田区大手町にあります。
平将門の死
将門の首は平安京まで送られました。
しかし、首は消えました。将門側の者が持ち出し、故郷の東へ葬ったと考えられます。
ただ明確なことが分からず、将門の首が空から降ってきたと言われる地点に伝説が残り、災いの要因として語られるようになりました。その言い伝えは、将門の死の直後からあったのですが、江戸時代に盛んになったようです。都が江戸(東京)に定着したからでしょう。
④ 神田明神 〈体〉
神田明神(神田神社)
この神社には、平将門が合祀されています。
この周辺が疫病におかされ、将門を祀りました。大手町の首塚と同時に、日輪寺が「将門の体(からだ)が訛って神田(かんだ)になった」として神田明神の事務をし、将門信仰を伝えました。
北斗七星信仰
平将門は、大規模な反乱を関東で起こした際、妙見菩薩に窮地を救われたと言われます。将門が朝廷の敵と見なされて殺されてからは、将門の養子の平良文を妙見菩薩が加護したそうです。良文の子孫は、鎌倉幕府の建立に貢献することとなります。将門と北斗七星の関連が見える伝説です。
⑤ 筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ) 〈腕〉
東京都新宿区西早稲田にあります。
筑土神社
940年創建時に祀られた平将門にちなみ、武勇の神社として勝利祈願でも知られています。
文献によれば、この神社には、将門の首が安置されていたともあり、将門信仰の中心的神社となりました。
江戸時代1616年、江戸城の拡張工事のため、筑土八幡神社の隣接地に移され、筑土明神と呼ばれました。つまりは、筑土八幡神社の場所に筑土神社があったということです。
現在の筑土神社の地点でつなぐと、北斗七星の形が崩れます。
以上から、北斗七星聖域は、江戸時代、徳川家康が信仰推進による平定を計ったことで、確実性を帯びた伝説になったと言えるのではないでしょうか。
『日本書紀』には、筑土八幡神社の祭神である応神天皇は、生まれた時に腕の肉が、手首に付ける弓具のように盛り上がっていたと記されています。譽田天皇(ほむたのすめらみこと)という別名は、その弓具「鞆(ほむら)」に由来しているそうです。
ですから、筑土八幡神社には・・・・・・将門の「腕」が埋まっているという伝説が考えられます。
⑥ 水稲荷神社(みずいなりじんじゃ) 〈目〉
水稲荷神社
しかし、1702年、霊水が湧き出し、その水は眼病に効くとされ、「水稲荷神社」に改名されました。ですから、ここは将門の「目」が埋まっているという伝説になるのでしょう。
東京都新宿区西早稲田にあります。
平将門の乱(935~941年)
乱の原因は、「受領(ずりょう)」の存在にあります。受領とは、おもむいた土地で、国司の最上席となり、任国での徴税権を利用して富を築く、勢力を持った者のことです。
その受領の勢力が拡大し、その土地に住み任用される者たちは権限を奪われ、受領の従者のように仕事を強いられました。それに不満を抱き、現地の富豪農業経営者たちと共に反乱を起こすようになります。
故郷が関東荘園の将門は、受領と地域有力百姓層との間に入り、調停に介入しました。それが、結果的に「朝廷への反逆」と見なされ、激しい戦いへ進んで行くのでした。
その戦いで、自らを新皇とし、関東全域を手中におさめた将門。
しかし、わずか2ヶ月で滅ぼされ、自身の本拠地で敗死したのです。
⑦ 鎧神社(よろいじんじゃ) 〈鎧〉
将門の怨霊とは
平将門の悲劇は、朝廷と地方との板ばさみになり、悪者と見なされ、どうにもならず討死し、首は故郷から京へ送られたという点にあります。
やはり、長く多く語られる伝説は、その根拠が納得できるものなのです。
通常、恒星記号の順番は光度の高い順なのですが、北斗七星は特例として異なるのです。
1番(アルファ)、2番(ベータ)の延長線上に北極星があります。