11月の国民の祝日である勤労感謝の日。
働いている人に感謝する日だと思っている方は多いのではないでしょうか?
知っているようで知らない勤労感謝の日の由来と意味、また、勤労感謝の日の元になった新嘗祭についてご紹介します。
勤労感謝の日はいつ?
1948年に祝日法により制定されました。
勤労感謝の日の意味
ですがその本来の意味は少し違います。
日本人ならぜひ知っておきたい、「勤労感謝の日」の本来の意味を少し勉強してみましょう♪
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。
という日なのです。
働いている人、たとえばお父さんやお母さんを労うことももちろん大切ですが、作られたものに感謝することも大切にしたいですね。
勤労感謝の日の由来は?
勤労感謝の起こりは、旧暦11月の第2卯の日(新暦12月中旬ごろ)に行われていた「新嘗祭」です。「新嘗祭」は、新穀を神様に捧げ、その年の収穫に感謝する儀式です。昔は、穀物を献納し、神様に新米を供えて初めて、人も新米を食べることができたのです。
今でも、皇室では、宮中祭祀の中の最も重要なものとされており、天皇陛下が、神嘉殿(しんかでん)において新穀を皇祖はじめ神々に供え、神恩を感謝された後、陛下自らも召し上がる儀式が執り行われています。
新嘗祭の起源ははっきりとはわかっていませんが、日本書紀に皇極天皇元年(642年)11月16日に新嘗祭を行ったという記述があることから飛鳥時代にはもう行われていたようです。
このように歴史も古く、皇室とも深く関わりのある新嘗祭がいったいなぜ「勤労感謝の日」となったのでしょうか?
新嘗祭から勤労感謝の日へ
敗戦後の日本をGHQ(連合国軍総司令部)が占領したというのはご存知の通りですが、GHQの最高司令官であるダグラス・マッカーサーは日本を統治してから数か月の間に、日本人の精神の中に天皇陛下というものが強く存在していること、また日本人の魂の強さというものを把握していました。そして、いずれまたアメリカに牙をむくことを懸念し、それを防ぐために日本を徹底的に弱体化させる必要があると考えました。
そのためには、根幹的な精神の部分を破壊するのが一番で、それには日本人から天皇や皇室といった精神的な主柱をなくす必要がありました。その過程で天皇や皇室に関係するものはことごとくなくなっていきました。
特に祝日は天皇や皇室などと結びついたものが多く、そのほとんどが戦後の1948年に新たに制定された「祝日法」により廃止されてしまいます。そして新たに生まれたのが勤労感謝の日だったのです。
戦前の日本には、国の祝日と大祭日とからなる12の「祝祭日」があった。そのほとんどは紀元節、天長節など皇室の祭祀(さいし)を国民がともに祝う性質のものだった。
しかし昭和20年12月、GHQはいわゆる「神道指令」で、そうした祭祀を皇室の「私的な行事」として祝日から排除した。
代わりに昭和23年7月に制定されたのが、9つの「国民の祝日」である。
また各地の神社でも新嘗祭は行われています。
伊勢神宮 新嘗祭 大御饌の儀 2014.11.23
祝日は休みだ!とただ喜ぶだけではなく、その意味を考えて過ごしたいですね。
勤労感謝の日の背景にこのような歴史があったことを日本人として忘れないようにしたいです。