武運長久を祈る端午の節句とはいったいどんな日??

日本は四季折々楽しむことができる節句があります。めでたい奇数が重なる3月3日や9月9日などは転じて陰に傾きやすいということで邪気を払う日とされています。武運長久いまでいう出世を願う5月5日の端午の節句も元は邪気を払う日でした。

5月5日は武運長久を願う尚武の節句

端午の節句 【暮し・生活インフォメーション】の端午の節句情報 (21097)

「端午の節句」は5月5日にあたり、「菖蒲〔しょうぶ〕の節句」とも言われます。強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒(のき)につるし、また菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。
また、「菖蒲」を「尚武〔しょうぶ〕」という言葉にかけて、勇ましい飾りをして男の子の誕生と成長を祝う「尚武の節句」でもあります。
菖蒲湯に浸かる習慣は江戸時代からとされますが、
端午の節句をはじめ、菖蒲=勝負・尚武の語の響きにかけて、
武運長久を願って武士が出陣前に
浸かったことが起源と言われています。
端午の節句は菖蒲の節供とも呼ばれます。
菖蒲を勝負・尚武とかけ、子どもの武運長久(出世)を願ったわけです。
まるで言葉遊びのようですが、子どもの出世(武運長久)を願う親心は古今東西を問わず同じということでしょう。
それにしても、江戸時代も今も日本人がダジャレが好きだということが節句からもわかり微笑ましいですね。

中国の邪気を払う行事と五月忌み~端午の節句の由来

こどもの日(端午の節句)のお料理レシピ~ちまきとかしわ餅~ (21069)

中国では、この日、野に出て薬草を摘んだり、よもぎでつくった人形を家の戸口にかけたり、菖蒲酒を飲んだりして邪気を蔽う行事が行われました。
 一方、日本では、五月は田植えの月で、一年のうちでも重要な月とされていました。田植えは、穀物の霊魂を増やすために田の神を迎えて祭る神事とされていたので、身を清め、「忌みごもり」をするため、「五月忌み」をしていました。
 中国の風習は平安時代に日本へ伝わり、貴族の聞からしだいに民間へと広まりました。日本では、菖蒲や蓬を軒につるしたり、ちまきや柏餅を食べてお祝いをしました。
端午の節句は、邪気を払い国の安泰を願うための中国の行事と、もともと日本あった清浄さを尊ぶ五月忌みの風習が合わさり現在の端午の節句となったようです。
どちらも菖蒲や蓬、柏など植物の力を借りてに厄を払おうという点が似ています。
ちなみにちまきを食べるのは中国の風習で、柏餅を食べるのは日本の風習だそうですよ。

端午の節句は菖蒲の節供

菖蒲湯|暮らしの中の歳時記|暮らし歳時記 (21082)

菖蒲と蓬

古代中国では、この時期は雨季にあたり、病気や災厄の祓いは大事な行事でした。盛りを迎える香り高い菖蒲や蓬が邪気を祓うとされ、蓬で作った人形(ひとがた)を軒に飾ったり、菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に浸かって邪気祓いをしていました。
日本では、田植え月の五月に「五月忌み」という日本古来の行事をしていました。神聖な行事である田植えは早乙女(若い清らかな女性のこと)がするものとされ、田植えの前には、一定期間心身を清める「物忌み」をしていました。ここに「端午の節供」が結びつき、早乙女は菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋に一晩こもり、菖蒲酒を飲んで穢れを祓い、神聖な存在になってから田植えに臨むようになりました。つまり、女性のためのおまつりであり、当時の女性にとっては堂々と休める嬉しい日でもあったのです。
中国と日本の端午の節句、どちらも菖蒲と蓬が重要なアイテムとなっているところがおもしろいと思いませんか?
今では男の頃の出世(武運長久)を願う節句が、昔は田植えをする乙女たちの祭りであったことも興味深いです。

子どもの武運長久(出世)を願う行事

2008鶴岡八幡宮・小笠原流鏑馬神事(2)/北道倶楽部 (21121)

流鏑馬(馬とばし)

鎌倉時代には「菖蒲」が「尚武」に通じるということから、武士の間でも、走る馬の上から鏑矢(かぶらや)で的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の競技が行われるようになった。菖蒲はその葉形が刀剣を想わせることから、妖魔を斬り払う力を持つとされ、後にはこれを「菖蒲刀」として子供たちが地面を打ち合う「菖蒲打」(しょうぶうち)を行なうようになっていった。
現在、流鏑馬は神事として執り行われることが多く、4月末から5月初めにかけて多く行われています。

兜人形

コンパクトな五月人形「御兜 高倉」 | スタッフブログ| 京都島津 (21130)

男子の健やかな成長と成功を願う端午の節句、
五月人形は節句に欠かせない武運長久を願うお飾りです。
これまでは祖父母が購入することが多かった五月人形ですが、今はそれほどこだわらないようです。

鯉のぼり

鯉のぼりが安い〜雛人形も五月人形も楽しむ♪ (21134)

江戸時代、男の子が生まれた印として幟(のぼり)を立てた武家をまね、粋な町人たちが和紙で作った鯉の幟を揚げたのが始まりです。鯉は立身出世のシンボルで、鯉が滝を昇って龍になったという「登龍門」伝説に由来します。
日本では将軍家が重要な式日として制定してから派手に行われるようになった端午の節句。
武家であったとしても、商人であったとしても、子どもが偉くなってくれること(武運長久)を願う親心は同じだったようです。
それは今でも変わらないのではないでしょうか。

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